ホン雑記 Vol.28「インプリンティング」
タイトルはカッコつけて英語で言ってみたが、「刷り込み」のことである。
一度人間の前で孵化させたヒナ鳥を親鳥の元へ返しても、その人間のあとをついていくという習性だ。
ここ数か月、言葉を扱うことで生きていけたら… なんて夢みたいなことを言っているが、最近それを言うのも恥ずかしくなってきた… って、そんなことが言いたいんじゃなかった。
いや、やっぱり今思っても恥ずかしいが、ホントに文章に触れてない。
アマアマでビックリする。
詩集を1万冊読みましたとか、最低、趣味は読書ですとか言えるならまだしも、なーんも考えてないんだなぁとちょっと人生に眩暈がしてきている。
まぁ、でも読む気にならないので仕方ない。
そんなオレが最初に買った詩集は谷川俊太郎の文庫本だった。中学生の時だ。
ちょっと有名かもしれない「二十億光年の孤独」ではなく、「愛のパンセ」って簡単なヤツ。
エッセイや詩、歌、モノローグドラマなどで構成されていて、なんというかお弁当箱を覗き見しているようなホコホコ気分にさせてくれた。
で、これが大人になって読んでみても、それはそれは居心地がいいのだ。
構成を知っていることも、懐かしさの手助けもあるんだろうが、なんとも落ち着く感じ。通いなれた大好きな雑貨屋で時間を過ごす時の幸福感に似た感じと言えばいいのだろうか。
オレにはそんな行きつけの店がないので分かりようもない。
で、これってもしかしてインプリンティングなんじゃないの? って思っての、このタイトルってわけだ。今その話をダラダラと引き延ばさせていただいておる。
これもいきなり思いついたわけじゃなくて、好きになる女性芸能人の顔のタイプから転じてきたのである。
タイプの顔って確かにあるんだけど、このタイプはどこから来てるんだろう? と思ったら、すぐに答えがでた。
奈月ちゃんだった。
「いや、誰やねんそれ」
だろうが、オレが小5から中1まで、絵に描いたような片思いをさせていただいたマドンナの御名だ。(みな。聖なるものの名)
なんなら今も片思いしている。平均して月1ぐらいで夢に出てくるので、結構発狂しそうなほど苦しいことがある。
いやいや、そりゃぁもちろん目に入れても痛くないぐらいのヤツは嫁ちゃんだけですよ。
でも、世界で1番憧れたモノ(者&物)が奈月ちゃんなんだと思う。
音楽家として大成した自分への憧れは2番だろうなぁ。
手の届かなさ、劣等感、喉から手が出るほどの憧憬感、切なさ……
それらの感情の襞を、ただ存在するだけで植えつけてくれた聖母とも言えよう。
ウソ。ちょっと言いすぎた。
でもちょっとだけホント。
はっ!
また脱線してるわ!
えーっと、そうそう、その顔のタイプを思いついた時に、好きな言葉の言いまわしも過去の影響を強く受け継いでるんじゃね? と思ったわけなのだ。
谷川俊太郎のほかには、宮沢賢治、やなせたかし、まど・みちお、などがパパッと思いつく。
その次に頑張って思いつくのが、金子みすゞ、新美南吉といったところか。
うーん、ホントに少ない。し、子供でも読めるのばっかり。
そうか。子供の頃から大人になりたくないと思ってたから、このラインナップは当然っちゃぁ当然なんだな。
書いてて気づいたわ。
今日はいい日記を書いた。
オレにとって。
ふふん。