雑記1189「在り得ない敵」
宇宙や脳ミソはNOを認識できないってよく言われてる。
なので「何々になりませんように」って祈りは効かないと。むしろそれに近づくよと。
そのことはいろんな事象からわかってはいたんだけど、それが自分もNOを認識できないっていうことをさっき初めて合点がいった。
いろんな事象ってのはたとえば、お笑いから外れてって誰かを糾弾しはじめた芸人が、その相手と似てくることとか。
敵対するふたつの暴走族AチームとBチームとか。
(当人らは最もいがみ合う互い同士にしか映ってないんだろうけど、その枠外から見るとオトモダチにしか見えない。野球チームGとHを応援するそれぞれXさんとYさんとかも最たるそれ)
高じて、R国とU国とか。
まぁ、その中の人は必死なんだろうし、「オトモダチだね」なんてこの世の人に言われたら怒るだろうけど、人間の上の階層から見たら同じ種類。
オレもそんなことは何万回と思ってきた。
「オレはあいつとは違う」「オレは認めてない」とかね。
で、人様のやりとりを見てると、悲しいかなこれは有り得ないんだと気づくしかない。
つまり、確実に認めてるところがないとその発想にはならないのだな。本人は気づかないのかもしれんけど。
で、ここで日本語のたまたまのおかげなのか、きづいたって話なんだけど、「認めない」ってのは、文字通り「認識できない時」にしか有り得ないんだと思った。
眼中にもない状態…煽りじゃなく眼中にもない状態。だから当たり前なんだけど、「あんなヤツ眼中にない」って時は明らかに入り込まれてるし、「あいつはオレの足元にも及ばない」って時は明らかに自分であいつを足元以上に配置してる。
って思った時に、マザー・テレサの言ってた「愛の対義語は無関心」って言葉に反対してたのがかなり崩れた。
オレはそれは憎しみでしかないと思ってたわけだ。無関心ってことはゼロじゃないかと。それに対する愛に形があるのに(ここでは愛は形ないものとかそういう意味ではもちろんなく)、そこから支点を通って、逆にあるものがゼロってことはありえんだろうと。
が、宇宙にNOがないとするなら、で、愛を、神や自然や宇宙やすべて(すべてじゃないところも含めたすべて)なんかと同種のものだとあえてするなら、その逆とは、それが無い状態しかないよなぁ、などと思うのだ。
で、また、「あぁ、だから神でさえも、一度存在した物をなかったことにはできないのか」と、もうどこで仕入れて来たのかも忘れた考えに納得もするのだ。無いってことにはできないのだ。
あ~、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」問題を思い出してしまった。
いや、朝ね、あいつは最低だよなぁって思う著名人を何人か思い出してね、それは悲しいかな、オトモダチなんだろうなぁって思っちゃってたとこ。
で、そう思っちゃってのは、そう思わないことよりも、悲しいことじゃないんだろうなってことも思っちゃった。
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