背景音楽と発車メロディ ― 『4分33秒』から見えてくる「音環境への気配り」とは
1920年代|音楽は生産効率を向上させる?
レコードとラジオを主要な媒介としたポピュラー音楽が成立した1920年代、周辺的・並行・散慢聴取に適合的な音楽を作る試みが行われました。それが、フランスの作曲家、ジムノペディで知られるエリック・サティの「家具の音楽」です。
このサティの「家具の音楽」の意図は、瞬く間に複製技術により実用化され、産業化されました。音楽は工場騒音を遮蔽したり、生産効率を向上させる機能音楽として期待されたのです。
1940年代|音楽=作業効率向上?
1940年代末には、音楽が作業効率を向上させる効果があると唱え始め、疲労感を和らげたり、集中力減退に対して刺激を与えたりする専用プログラムの放送が開始されました。ここに至り、ミューザックは「背景音楽」という枠を逸脱し、その効果や影響については議論が曖昧なまま、人間の行動や感情を積極的にコントロールするために音楽を使う次元に転じることになった。これは、サティが夢見た『家具の音楽』の姿からは大きくかけ離れたものでした。
1950年代|『4分33秒』音環境への注目
ミュージザックがこのような変貌を遂げる一方、現代音楽の世界では、音律やリズムといった既存の音楽的常識を無視したり、ノイズを演奏に取り込んだりするなど、19世紀的西欧音楽の解体が様々な作曲家によって試みられていました。その中に、サティの『家具の音楽』をある意味で継承・拡大する音楽家としてジョン・ケージが現れます。彼は1952年、演奏者がただ楽器の前に座り4分33秒の間の休符を演奏する『4分33秒』という極めて前衛的なコンセプトの作品を発表します。ただしケージの意図は「沈黙」にあったわけではなく、4分33秒の間、演奏会場で起きるあらゆる音、観客のざわめき、イスの軋み、咳払い等々のすべての環境音を「音楽作品」と見なすという意図を持ったものでした。サティが維持していた「音楽」の輪郭すら捨て去ったケージは、音楽だけでなく「音環境」に対して耳を開くべきであるというメッセージをそこに込めているのです。
1960年代|『サウンドスケープ』の登場
また、ケージのこうしたコンセプトをさらに受け継いだのが、「サウンドスケープ」という言葉を創造したカナダの現代音楽作曲家R・マリー・シェーファーです。「サウンドスケープ」の発意に際しては、1960年代の北米社会における騒音問題の激化という背景が存在します。かつて未来派が賛美した工業製品のノイズは、もはや人類の精神と身体の健康すら脅かしかねないところまで来てしまいました。その拡大防止のため、人類は音環境に対する意識をより広く開き、地球の音環境を浄化・調律していく必要がありました。シェーファーが「サウンドスケープ」という言葉に込めたのは、世界の音環境の汚染に対する音楽家からのアンチテーゼという、極めて芸術的かつエコロジカルなメッセージでした。サウンドスケープデザイン(音環境のデザイン)とは、音楽を単純に環境に追加して飾り立てるミューザックのようなものではなく、音環境を構成しているあらゆる事象に気配りをし、音環境全体の総合的・本質的なバランスの回復、美的秩序の維持を最終目的とするべきものです。
1970年代|アンビエントミュージック
元ロックバンド「ロキシー・ミュージック」のブライアン・イーノはポピュラー音楽の世界から新たな音環境デザインの方向性を切り開きました。1970年代後半から、イーノは「アンビエント・ミュージック」という新しいジャンルを提唱し、明確なリズムやメロディを排除し、環境との関係を意識した音楽を作り出しました。このアプローチは、従来のBGMとは異なり、親しみやすさよりも環境との調和を重視するものでした。イーノの「アンビエント・ミュージック」は、1980年代に多くのアーティストに影響を与え、広く認知されるようになりました。日本では「環境音楽」という訳語で知られ、ギャラリーやショールームなどで実際に流されるようになりました。このように、サティの「家具の音楽」の理想が現実の音環境デザインとして反映されることとなりました。しかし、その理想は商業主義によって回収され、「環境音楽」は表層的な「耳に優しい音楽」として消費されることとなりました。イーノのコンセプトは注目されることなく、「リラクゼーションミュージック」をはじめとした安易な模倣品や粗悪品が量産され、1980年代末にはブームとして消費される結果となりました。
1990年代|音環境の実践
その後、1990年代になると、多くの研究者、企業、行政関係者が音環境の成り立ち方を真剣に議論し合い、具体的な音環境デザインの施設事例も様々に登場するようになりました。これが、元祖発車メロディの成り立ちにもつながっています。
しかし、現在に至っても商業主義に追いやられ、音環境デザインは未だ活用されていない現状があります。
音環境デザインを「施設設計に音楽家をゲストとして連れてくること」と同義に失墜させてはなりません。