見出し画像

わが街の伝統産業 群馬県高崎市

第102回 群馬県高崎市 〜パスタの街にある『高崎だるま』は赤城山からの「からっ風」で一大産地となった鶴と亀の縁起だるま

 群馬県高崎市。県南部の中央に位置する人口が県で最多の36万人の街。上越新幹線の駅があってアクセスに優れており、県最大の経済規模を誇っています。また、小麦の生産量が多いことから粉物文化が栄え、人口あたりのイタリア料理店が全国的にも多く「パスタ」の街ともいわれています。古くからの豊かな水資源と日照時間に恵まれた環境で農業が盛んで、小麦の生産が増えたことによって、パスタ料理が老若男女を問わず地域に根付いたようです。

 その高崎市の伝統産業が全国の生産量の約8割を占めている『だるま』。文字通り、日本一の『だるま』の産地です。高崎市以外にも『だるま』を生産している地域は、白河市(福島県)や平塚市(神奈川県)越谷市(埼玉県)などがありますが、『高崎だるま』には他にない特徴があります。

 その特徴とは眉毛と口ひげです。眉毛は「鶴」、鼻から口ひげは「亀」の模様が施されており、「鶴は千年、亀は万年」といわれるように長寿を表す「縁起だるま」とも呼ばれているようです。赤色の張り子という底に土の重りがついているため転がしてもすぐに起き上がり、「七転び八起き」ともいわれ、重心が安定しています。

 『高崎だるま』の始まりは今から200以上前の江戸時代。農家の副業で始まり、当初は生産量は少なかったようですが、1859年の横浜港の開港によって、海外からスカーレットという赤の顔料が輸入されるようになり、『高崎だるま』の生産量が増えていきました。

 その要因として、県内にある赤城山から吹く「からっ風」が『高崎だるま』の紙を貼ったり、色を塗る工程に一躍買ったことが大きいようです。乾かす工程が多く、「からっ風」がだるま作りに最適な土地であったことから、1866年(明治元年)にだるま市が本格的にはじまり、製造業者が少しずつ増えていきました。

 その後、太平洋戦争を経て、1955年(昭和30年)には選挙で「必勝だるま」が使われるようになり、1970年代以降は機械化が進んで生産量が増え、日本一の「だるま」の産地に発展しました。

 その『高崎だるま』は、1993年(平成5年)に群馬県から伝統工芸品に指定され、2006年(平成18年)には特許庁が創設した地域団体商標の登録を受けています。その『高崎だるま』は、近年のインバウンドブームに乗って海外展開も視野に入れて頑張っています。

 最後に、高崎市では「梅」の生産も盛んで全国2位の生産量を誇っています。「白加賀」という品種が中心で、梅干しや梅酒、梅ジャムなどの製品が作られており、『だるま』や『パスタ』の陰に隠れた高崎市を代表する逸品です。

  提供:伝統産業ドットコム

#高崎市 #パスタ #高崎だるま #七転び八起き #赤城山 #必勝だるま
#からっ風

いいなと思ったら応援しよう!