大原女前掛けとモスリン
1 大原調査で見たモスリン
大原は京都市左京区に属し、京都市の中心部からみて北東に位置する盆地です。若狭と京都を結ぶ街道の中継地点として、また隠遁の地として古くから歴史にその名を残してきました。
寂光院や三千院などの名刹も多く、鄙の地ながらどこか雅な雰囲気があります。その大原を更に名高くしたのは「大原女」という女性達の存在でした。大原女は紺の木綿の着物に絣の前掛けという衣装で、頭には柴を乗せ、京の町で薪や割木などを売り歩きました。その衣装は遠くから見てもそれと判る独特のものです。
大原の人々の言い伝えによれば、建礼門院の侍従であった阿波内侍が身分を隠して御所に行く際、着た着物を地元の人が真似をしたということです。実はこの大原女の衣装にモスリンがたくさん使われています。
2 前掛けの紐にモスリン
まず大原女衣装の要とも言うべき前掛けの紐はモスリン製です。大原女前掛けの幅は2幅半で、三枚の布地のうち前が半分の幅になっています。紐の長さは8尺(約2メートル40cm)。紐は単なる「紐」ではなく、大原女衣装の中に華やかな色を添える大切なアクセントです。前掛けの絣の紺と、モスリンの赤が美しい対比で、なるほど遠くからでも大原女と判るようになっています。
3 力紐にもモスリン
また、もう一つのアクセントである「力紐」もモスリンで出来ています。力紐はその名の通り、重いものを持ったりするとき力が入るようにという目的があります。着物をからげた上から結ぶのが力紐で、両端にはピンクと緑の房がつきます。この力紐と前掛けの紐の微妙な重なりが大原女衣装の美しさを作り出しています。
4 早川昭子さんのお話
大原観光保勝会の早川昭子さんのお話では、モスリンの紐はゆるまず、着崩れが少ないとのことです。モスリンが大原女衣装に使われるようになったのは不明ですが、昭和30年頃にはすでに使われていたとのことです。それ以前は子供の産着を利用して紐を作っていたそうです。初めは絹で紐が作られていたと思われますが、発色がよく、絵柄も華やかなモスリンは縫いやすさも相まって、その地位を確立していったのでしょう。
「こうして集めているんですよ。」とモスリンの長襦袢のストックを見せて下さいました。この襦袢がいずれ力紐になったり、前掛けの紐として役立つことになるのでしょう。
似内惠子(NPO法人京都古布保存会代表理事)
(この文章の著作権はNPO法人京都古布保存会に帰属します。無断転載・引用を禁じます)
似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
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