あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ
今回は、ウクライナについての身近な話をシェアさせていただきます。
私の友人の職場にウクライナからの避難民の方が来られたそうです。就労を目指しているそうですが、その方はあまり日本語も上手ではなく、友人は積極的にコミュニケーションを取るようにしているようです。
友人は「せっかく日本に来たのだから、良い思いをして欲しい」と言っていました。私は、そのような友人の考えに心を動かされました。また、友人の態度は必ずウクライナの方にもポジティブに伝わると信じています。
ウクライナ情勢については多くの情報がニュースで報道されています。そして、「ロシアが」「ウクライナが」と国が主語として、まるで一つの塊のように語られることも多いです。しかし、立ち止まって考えてみれば、国の中には一人ひとりの個人がいて、一人ひとりの生活があるわけです。
避難民の受け入れにしても、何百万人という数字のみで語るのではなくて、避難民の方の一人ひとりに生活があり、受け入れる側の一人ひとりにも生活があるということを忘れてはならないと思います。そして、生活に根ざした多くの思いがあるのです。
もちろん早急な政治的解決に向けた日本の国としての取り組みも欠かせません。しかしそれだけでなく、わたしたち一人ひとりが自分たちの生活の中で歴史を作っているんだという主体性への自覚も決して無視できないものだと思います。なぜなら、政治だけではなく、生きた人間の生活が常に現実問題として残されているからです。
聖書を読むときに感じることは、一人ひとりの人間が些細なことであっても正しいことを行うことが重要であるということです。そして、どんなに些細なことであっても神様はきちんと評価してくださるということです。また、国籍などに関わらず、皆兄弟姉妹であるということです。
連日のニュースに触れて無力感に苛まれることも多いですが、より良い世界に少しでも貢献したいと思います。ちょうど、友人が機会が与えられたように、すべての人にそのような貢献の機会は与えられると信じています。