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(7月7日の夜に) パオの鼻がピンク色になりますように。 ほかの動物も飼育員さんもお客さんもいなくなって、もう長いことパオはひとりぼっちです。ときどき空をピンク色に染めるフラミンゴたちは、パオをこわがって地上に降りてきません。 だけどもしパオの鼻がピンク色だったら、パオは上手に鼻を持ち上げて空にあいさつするでしょう。それを見たフラミンゴたちは、地上に仲間がいると思って降りてくるはずです。 パオは賢い象ですから、そこから先はきっとうまくやれると思います。 パオの鼻がピンク色に
タグワっていう小さい島国に貝殻でできた教会があって、屋根のところに十字架がついてるんやけど、中に安置されてるのはキリストでもマリア様でもなくて骸骨被った海蛇みたいな、なんとかっていう土着の神様らしい。 僕の夫、朝は絶対パンや言うて業務スーパーでピーナッツバター買いだめしてて、そのパッケージにこのタグワの教会が描かれている。別に原産国でもなんでもないのに。タグワのこと自体、この絵柄何やろって夫がネットでめちゃくちゃ検索して初めて知った。それでいつかタグワ行きたいなあって、こ
玄関を開けると小さい老人がちょこんと座って待っている。慈郎は私に飛びついてきたりしない。もうそんな歳じゃない。 お母さんは買い物だろうか。制服を着替えて「散歩行こうか」というと、慈郎はよぼよぼした動作で自分からハーネスに腕を通す。 猿を飼いたいって駄々こねて動物愛護センターから引き取った時、慈郎はもうおじいちゃんだった。友達はみんな飼ってる、て言ったのはちょっと大袈裟だったし、ちゃんとお世話するから、なんて本心から言ったわけじゃない。それでも毎日散歩とご飯はそんなにサボってな
明石っ子レコードにアクセスできる条件は二つ。 1、明石市で生まれ育ったこと。 2、十五歳以下のこどもであること。 私は1をクリアしていないから、天体観測室に入っていったてらすとニニをいつも階下の展望室で待つことになる。記述と閲覧を終えた後のふたりは、私にどこかよそよそしくなる。私は私で、外の景色に夢中で階段を降りてきたふたりにも気がつかないみたいな、小さなフリをする。小さな私たちが暮らす小さなまち。その向こうには海。そこにかかる、今は使われていない大きな橋を指でなぞる
じゅりあんが目を閉じると、まぶたの内側に色とりどりの魚の群れが現れる。楽しそうに海の中を跳ね回る数万匹もの魚たちを遠巻きに見ている1匹がじゅりあんだ。魚影を掴まえるように筆を振るう。きらきらと色を変える魚魚魚魚魚を追いかける追いかける追いかける追いかける追いかけるあかあかあかあかだいだいむらさきあおおおおおおおおきみどりゆうぐれ。 海面のはるか上の方から呼ばれた気がして、イルカが息継ぎをするように目を開ける。振り向くと呆れ顔の母親が立っている。 じゅりあんは口がきけな
あの頃、駅の北側にはまだぬかるんだ空き地が広がってて、その境界にはロープ一本貼ってあるだけやった。俺と、たかゆきと、しーちゃんと、ペテロは、学校から空き地に突撃してドロドロのサッカーボール追っかけたりぬかるみをほじくったりして毎日遊んでた。 落とし穴を掘るシャベルはしーちゃんが学校の用具倉庫からパチってきた。人殺せそうなやつ。掘った穴の入り口を木の枝でバッテンしてゴミ袋被せて土被せたら完成。せやけど落ちる奴がおらんかったからみんなで一回ずつ落としあった。穴は湿ってて、みん
物語がいつも正しい順序で綴られているとは限らない。 親より子供が先に亡くなることも、運命の人と結ばれないことも、今日出会ったばかりの人と旧知の友のように打ち解け合うことも、物語の順序に入れ違いが起きているからだ。それを乱丁という。 人の一日が眠りと眠りで区切られた一ページで、人生がそのページを綴じた一冊の本である限り、乱丁は誰にでも起こりうる。たとえば私の場合は、こうだ。 / 最後のホームルームが終わり、まだ帰りたくない仲の良いもの同士が廊下や下駄箱の周りに集まっている。
目測20メートル先の水場に小型の文献が現れる。 司書は弓に矢をつがえる。ピュ、という音が私の耳をかすめて、次の瞬間、文献の体が大きく跳ねる。司書は茂みから躍り出て二の矢をつがえる。後ろ足を引きながら逃げ去ろうとする文献の長い首を矢が射抜く。 「今です、これを。喉を狙って」 そう言って司書は私に匕首を手渡す。手の中にずしりと鉄の重みを感じながら、私は文献に近づく。 まだ温かい、しかし手の中で急速に熱を失っていく文献を閲覧する。唇をめくって歯茎に記された著者と出版年を確認。 腹
カナがいじられる理由は片手の指では数えきれへん。男やのに女みたいな名前や。ほんでどんくさい。ズボンからいっつもしょんべんの匂いがする。すぐ鼻くそほじって食べる。筆箱の中にひらった虫入れてる。それも死んでるやつ。あと、これはみんなあえて言わへんけど、日本語が下手や。 とにかく全部がなんかおかしい。 せやから、カナの筆箱かくしたり、背後から飛びげりかましたり、ランドセルうばって中に砂注ぎ込んだりするんは当たり前のことやった。 俺も最初はそうやってやっててんけど、担任
「木枯らし1号!」 そう呼ばれて、もうほとんど腰を浮かせていた小林一郎少年はパイプ椅子の上に尻餅をついた。いや、聞き間違いだろう。小島徹の次は、間違いなく小林一郎のはずだ。そうすると、壇上から校長先生がもう一度、はっきりとした口調で 「こがらし、いちごう!」 と読み上げた。小林少年は今度こそ立ち上がって、それと入れ違いに、黒い筒を手にした小島少年が隣の席に腰を下ろした。 小林一郎少年は、こうして木枯らし1号少年になった。春と呼んでも差し支えない、うららかな三月だった。