環礁の国
タグワっていう小さい島国に貝殻でできた教会があって、屋根のところに十字架がついてるんやけど、中に安置されてるのはキリストでもマリア様でもなくて骸骨被った海蛇みたいな、なんとかっていう土着の神様らしい。
僕の夫、朝は絶対パンや言うて業務スーパーでピーナッツバター買いだめしてて、そのパッケージにこのタグワの教会が描かれている。別に原産国でもなんでもないのに。タグワのこと自体、この絵柄何やろって夫がネットでめちゃくちゃ検索して初めて知った。それでいつかタグワ行きたいなあって、これもう合言葉みたいになってて、何かあるとタグワ。無駄遣いしたらタグワ行かれへんやろ、とか、リモコンとか見つからへん時に、タグワに置いてきたんちゃうかあ、とか言うて。でもほんまにタグワのために貯金してるとかそういうわけではないです。そもそもどこにあるんかアメリカなんかアフリカなんかも知らんし。そやけどあの人、「いつかタグワに墓買うんや」、とかぽろっと言うときがあって、その何気なさが逆に本気っぽくて下手に相槌も打てへん。でもそしたらその、土着のなんとかという蛇の神様に帰依しやなあかんのとちゃうんかな、夫も僕も。実家の墓に入るんとどっちがマシやろか、などと通勤電車に揺られながら考えたりする。
そのタグワと多分関係はないんやけど、夫の大学の同級生の徳本さんっていう人、福島の実家の蔵を改装してギャラリーにしてはって、夫はそこで毎年個展やらしてもらってる。徳本さんはちゃんとしてはるからいっつも新聞社から大学の先生から商店街のお店さん一軒一軒まで案内状送ってくれて、そのおかげで毎回けっこう賑わってて、まあ売れるのは二、三個やけど。それでみなさん、本物みたいや、いや本物よりよっぽどやわ、母親のこと思い出して泣けてきた、とかって褒めてくれるんやけど、夫はそういうのいつまでたっても慣れへんもんやから、お客さんの前で短い手足をこうワシワシ伸ばしたり縮めたりやりだして、それ何の虫の動きやねんて聞いたら、酸素をな送っとるんや末端に、て。いわゆる絵画とか彫刻とかとちょっと違うことやってるからなかなか難しいとこあるけど、それでもあの人、あると思う。あるし、自分でもあるって分かってんのに、人前に出た途端にない振りしてしまうからなあ。そういうとこやんなあ。「なんで人が褒めてくれてんのに素直に聞かへんのや、実際君の作品はなかなかのもんやと僕も思ってる」て言うたら、顔真っ赤にして俯いて
「俺、貝の耳やから………………………」
てそれきり黙ってしもて。それ聞いてた徳本さんも「わははそうやなぁ、こいつ貝の耳やから」。貝の耳て何? 訊こうとした時にマイドおおきにぃってテカテカのおっさんが入ってきて、地元のスーパーの社長なんやと。それで徳本さん接待モード入ってしまって、本人はどっかふらっと出て行って、結局貝の耳のことは訊きそびれたまま。あの時なんでか頭の隅に、貝殻でできた教会の絵が浮かんだ。
なんでそれ以上聞かへんかったんかって? これは僕の知的好奇心が薄いというわけではなくって、なんでもかんでもググってポンみたいなんが嫌で、然るべきタイミングで劇的に真実が明かされてほしいみたいなやつ。夫も基本的にはそうやと思っててんけど、なんかそれ実は僕を怯えさせへんようにそう見せてるだけな気がしてきた。
知り合ったばっかりの頃誘ってきた映画が『ヘレディタリー・継承』で、初手で『ヘレディタリー・継承』はないやろと思いつつそれからも『プーと大人になった僕』とか絶妙に「ないやろ」っていう映画ばっかり誘ってきよるから逆に面白なってきて、それで結果的に付き合うことになって、なんでやろメッセではツーリングと大島てるの話しかしてへんのにって感心してたんやけど、ようよう振り返ってみたら僕、高校生のとき、いきがって映画に点数つけるだけの裏垢作ってたんや。ハンドルネームも今と全然違うねんけど、もしかしたらこの人、僕の交友関係めちゃくちゃ調べてその映画垢に辿りついて、好みを完璧に把握した上で誘ってたんかなって最近気づいて。え・怖。それで仕返しに夫の名前で調べたろ思って国立国会図書館行ってな、新聞記事データベースっていうのがあるから。過去三十年分、辿ってみたら検索結果に一件だけヒットした。それをたしかにクリックしたんやけど、どんな記事やったんか、それがどうしても思い出せへんのです。
あの日の晩飯は僕が当番やって、たしか水炊きにしたんや。
夫の毎朝はそれからもずっとパンとピーナッツバターやし、たまにパンがない時はピーナッツバターご飯や。「君は九〇年代に人知れず絶滅した種類のギャルか」て言うたらまた顔真っ赤にして「俺、ヤクの舌やから」て。ヤクの舌! せやからそれ何やねんって訊こうとしたら図ったようなタイミングで寝室から鳴き声や。夫がそっちに飛んでいってしばらくしたら、寝室からYouTubeで覚えたらしい下手くそなタグワ国歌が聞こえてくる。それはこんな調子です。
波の底から見上げる天蓋には大穴が開いている
それを気に留める者はとうの昔にいなくなった
ああタグワ 海蛇の背骨 死者が戴く花冠
(了)
*ブンゲイファイトクラブ3応募作品を改題・改稿しました。
お店の準備やら何やらであまりお金がありません。おもしろかったら、何卒ご支援くださると幸いです。