第一夜 蔦葛(つたかずら)
平安の世の恋は、互いの顔も知らぬところからはじまる。
侍女や召人たちから、聞くともなしに聞く噂。
名も知らぬ姫君に、公達は名乗ることもせずに文を送る。時には歌を、時には一輪の花を添えて。
いつしか、互いに文を送り合うようになる二人。やがて、公達は姫君のもとを訪ねる。
御簾(すだれ)越しに二人は、言葉を交わし合う。幾度かの御簾越しの逢瀬の後、ついに姫君は御簾を上げる。
公達は、御簾の中に招き入れられてはじめて、姫君のかんばせを知る。そして二人はそのまま、閨を共にするのだ。
私たちもあの夜、はじめて互いの顔を見知った。そして、そのまま結ばれたのだ。
あの人はお世辞にも、女の扱いに慣れているとは言えなかったが、私もまだ殿方を知らなかった。
私たちがほんとうに結ばれるのには、夜明けまでかかったものだ。
破瓜の痛みは、あの人の情熱そのもののようであった。
そしていま私は、ひとり孤閨をかこつ。
あの人が最後に通ってくれたのは、もう、幾月も前のことであったろうか。
新しい妻ができたと、聞きたくもないうわさが、耳に入ってくる。
私は耳をふさぎ、ただ体に刻まれた思い出に、心を馳せる。
--思うだけで、体が火照る。指は自然と、あの人と愛を交わした泉をまさぐっていた。
私の泉は、すでに潤いすぎるほどに潤っている。
けれど、そこを埋めてくれるあの人は、きっと今夜も来ない。
指を、泉に沈めようとしたその時。
「奥方さま。もうお休みにございますか?」
少年の声にはっとして、私は単衣の乱れを直す。
ふと思いついて、言ってみた。
「拾(じゅう)。今宵はなかなか寝付けぬ。湯の支度をしてくれぬか?」
御簾の向こうから、慌てた声が返ってくる。
「そのようなことは、侍女にお申し付けくださいませ」
私は、一つため息をついて答える。
「最後の侍女が館を去ってから、もう一月にもなるではないですか」
「それはそうですが、しかし……」
最後まで残ってくれた、この忠実な少年を、私はちょっとからかってやりたくなった。
「おまえが支度をしてくれねば、私は湯浴みできぬ」
しばしの沈黙ののち、声が返ってきた。
「かしこまりました。しばしお待ちを」
私はちょっと驚いたが、もう後にはひけなかった。