「成人ASD当事者にとって成熟とは」(随時更新)~ハッタツ民の方舟第20回~
・「ASD者の成熟」とは本来「定型社会で適切に振る舞えること」ではない
・いわゆる未成熟さ(幼稚さなど)は特性には含まれない
・特性ゆえに社会的経験を積みづらく、(自己覚知不足だと)経験をしても経験値を得にくい→未成熟に見られやすい
・「成熟」は現代日本では「定型社会に適応している(ように見える)」ことを意味する
・その意味で「成熟」するとは「仙人になる」か「擬態を完成させる」
。しかし本来「ASDならではの成熟」があるはずである→ニューロダイバーシティ
・それがどういうものになるかはまだ見えないが、「他個」の獲得が大きなステップになる
・「自己受容」「自己覚知」が足りないと未熟から脱しにくい?
・凸を見出せないがゆえに活かせず、擬態もできない人はどうすれば成熟できるのか?→言語化がキーワード?
・他個以前に自己が見えない人はどうすればいいのか?
・成熟以前に(少なくとも経済的に)生活を回す必要があるのでは?→そのために必要なことは?
・決まった「成熟したASD」のロールモデルがあるわけではなく、自分の生きやすさを追求すべき
・そもそも「成熟」とは? 「幼稚さ」とは?
・二次障害を起こさせない、もしくは起こしても軌道修正ができる環境作り
・誰が「成熟」を決めるのか?
・「成熟」の判断基準は?
・伝えたい内容は真っ当なのに、伝え方が下手なせいで「幼稚」「未熟」と取られるケースがありそう
・「成熟」の理想が高すぎて(堅すぎて)、自分が未熟だと思い込むケースがありそう
・バランスのとれた成長(一人で取らなくてもいい、支援を受けて凹を埋めてもいい)が成熟?
・自分がどんな存在か(どんな凸凹があるか)を他者にアセスメントしてもらう→自己覚知
・基本的信頼が欠損している人が多い→基本的信頼は成熟に必要?→後から取り戻すことは可能である
・同じ言葉で話せる場所=当事者会が居場所になって基本的信頼感を取り戻すきっかけになる
・ガワ(外見)と中身(年齢など)の解離が未熟さ・幼稚さに見られる→時に暴力的ですらある。ただしそれを年齢相応にすること=発達とは決めつけたくない→ASDならではの成熟、ニューロダイバーシティ
・「年齢相応の振る舞い」をコピーするのは擬態
・定型も擬態するがそれほど負担ではない、ASDの擬態はひどく消耗することが多い
・自分が行動する時に「他人がどう感じるか」を考えてから行動できるようになる、が最初の大きなステップだと思う
・安心してコミュニケーションを相互に取れることが成熟
・予想外のことが起きた時に受け止められるのが成熟
・定型はロールモデルを見つけやすい
・自閉文化村の民という自覚を持って、定型文化と比較して俯瞰的に違いを理解して調和的に生きる
・自分の居場所を作る→安全に意識を向けること
・成熟すると味方が増える
・依存先を増やす
・特性と幼稚は別の概念
・相手と自分の間で地道に信用(感情通貨/情報通貨)の貯蓄をする
・基本的信頼感(相手の人間性/感情通貨/情報通貨)に投資する
・ASD文化/ADHD文化を知る
→同じ言語感覚で話がしやすい当事者/自助会も含めて…擬態しなくても良い場所「サードプレイス」を見つける
・自分の感覚と、世間的な感覚「実年齢と精神年齢/肉体年齢」を把握する
・セルフアドボカシー(自分で自分の権利を擁護/主張する)を習得する
・クライアントバイオレンス(支援者へのハラスメント)をしない
・合理的配慮とは過不足ない配慮。足りてない、過剰/余剰では無いことを自覚する
・基本的生活基盤を整える
・福祉/医療/社会/地域とゆるく繋がる
・他者視点の大切さを認識する
・現実と理想を擦り合わせる
・他者からアセスメントしてもらう
・相手の価値観をなぞる→ナラーティブ
・自分の怒りを把握する→アサーション
・自分がなりたい「理想」、実際に実現できそうな「将来像」を擦り合わせる
・自分の衝動や欲望を適切に自覚して制御できる→ASDは自分の欲望に忠実すぎる、あるいは無頓着すぎる(過敏と鈍磨?)傾向がある?
自己覚知
・自分の長所/短所を認識する
→自己の発達特性度合と強弱/気質/体質を認識
自己受容
・自分の長所/短所を受け止める
→自己の発達特性/気質/体質を認識する
障害受容
自他境界の認識段階
・自分の世界しか知らない
→世界/存在を意識する
→世界が「他個」で構成されていることを認識する
→相手から見た「自分」を想像する
成熟するとは?
・成熟するとは智恵の実を食べるようなもので、元の自分には戻れない
・バランスを整える
・他者に助けを求める
・自己覚知と自己受容を掴むため(自分主導で)試行錯誤する
・足りない部分は環境/他者の力を借りて補う
・自他境界を認識する
・お互いの程よい距離感を測り、保つ
・「自分が一番信用できない」という自覚を持ちつつ後ろ向きにならない