第二夜 拾(じゅう) 前編
明治になって西欧から持ち込まれるまで、日本にキスという概念は存在しなかった、と思われがちだが、江戸時代の春画には、キスの描写が頻繁に見られる。(ディープ)キスは、「口吸い」と呼ばれ、挨拶や愛情表現ではなく、性技の一つであった。
しかし、さらに遡(さかのぼ)った平安時代。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
の歌で知られる、絶対権力者であった藤原道長の手紙には、我が子に対して、
「お前の口を吸うのは私だけだから、決して他の人に吸わせぬように」
とある。それがディープなキスを意味するのか、ライトなキスを意味するのかはわかっていない。
平安時代に、恋人や夫婦がキスを交わし合ったかどうかは判然としないが、愛情表現としてのキスは存在したのである。
「お戯れが……過ぎます……」
拾は身をよじって逃れようとしたが、その動作には、本気の力はこもっていないようだった。だから私は、彼の手をより強く握りしめた。
「こっちを……向いて……」
それはもう、命令なのか懇願(こんがん)なのか、判然としなかった。
彼は、背けていた顔を、ゆっくりと私に向けた。
ようやく、私たちの目が合った。
拾をひろった時、私はまだ夫と睦(むつ)まじく、今のように困窮(こんきゅう)してはいなかった。
彼は、一条戻橋(いちじょうもどりばし)の下で、ごみを漁っていた。
私は、牛車(ぎっしゃ)の中から、簾(すだれ)越しにその姿を垣間見た。
……なぜその姿を見過ごせなかったのか、私にもわからない。だが、運命など感じていなかったのは確かだ。
侍女には頼みにくい、ちょっとした使いや、秘密の買い物などを頼める召人が欲しかっただけだ。侍女に頼めば、何もかもうわさとして、京(みやこ)じゅうに広まってしまうから。
名もその時、私が与えた。ひろったから拾。そんな名付けにも、彼は文句一つ言うことなく、私に忠実に仕えてくれた。
そして他の侍女や召人たちが去ったあとも、私の元に残ってくれたのは、彼一人だったのだ。
ゆっくりと手を引き寄せる私に、拾は抵抗しなかった。
目と目を合わせたまま、二人の距離が近づく。
二人の顔が触れ合おうとした時、私は自然に彼の口を吸っていた。
最初は、ほんの唇が触れ合う程度。でも、それだけで、体に稲妻が走った。
私の唇は、私の意志とは関わりなしに彼の唇を押し開き、彼の舌をそっと咥えた。
私の舌の先と、彼の舌の先が触れ合う。
私は夢中で、彼の舌を吸った。
彼の舌がぎこちなく動き、私の口の中を這い回る。
私の舌も彼の口の中に入り込んで、柔らかい頬の裏側や、固い歯に触れる。
私たちは夢中で、口を吸い合っていた。