第二巻 第五章 藤原北家の台頭
〇藤原良房(三十九歳)
N「嵯峨上皇に寵愛された、藤原北家の良房は、嵯峨上皇の死(承和九(八四二)年)と共に起こった「承和の変」により、政権の中枢に登り詰めた」
〇清和天皇(九歳)と良房(五十五歳)
N「清和天皇が九歳で即位すると、良房は摂政となり政権を担当する」
〇平安京・良房邸の一室
写経をしている良房(六十一歳)
N「清和天皇が元服すると、良房は第一線を退き、仏道三昧の生活に入った(官位は太政大臣のまま)」
〇平安京・応天門(夜)
燃える応天門。
N「貞観八(八六六)年閏三月十日夜半、平安京の朝堂院(現在の国会議事堂にあたる)の正門、応天門が炎上する。周囲に火の気はなく、放火と見られた」
〇良房邸の一室(夜)
基経(三十一歳)が良房(六十三歳)と面会している。
N「藤原基経は良房の甥であり、養子として北家の嫡流を継ぐことになっていた」
良房「こんな夜更けにどうした、基経」
基経「実は……」
〇対立する源信(五十五歳)と伴善男(大伴氏、五十六歳)
基経「さきの応天門の放火を、伴善男どのが源信どのの仕業だと主張」
〇軍勢に命令する藤原良相(五十四歳)
基経「それを真に受けた藤原良相どのが、信どのを捕縛するために兵を出して屋敷を取り囲んでおります」
〇良房邸の一室(夜)
さっと顔色を変える良房。
良房「政権第四位の善男が、第二位の信を誣告(ぶこく)。それに第三位の良相が便乗したというのだな」
基経「この混乱を鎮められるのは、父上をおいてございません」
良房、天を仰いで
良房「主上の摂政として、また太政大臣として、すでに人臣位は極めた。この上は仏道三昧で暮らすつもりでおったのだが……人の世はままならぬ」
〇平安京・清涼殿(早朝)
良房が清和天皇(十七歳)に謁見している。
良房「……主上の御寝をお騒がせし、まことに申し訳もございませぬ」
清和「いや、よくぞ知らせてくれた。この事態を収拾できるのはそちしかおらぬ。そちに全権を与える」
良房「はっ!」
N「良相は勝手に兵を動かしたことをとがめられ失脚、信は疑われたことを恥じて自ら謹慎し、善男は『現場で見た』とする目撃者が現れ、真犯人として逮捕された」
〇良房と清和天皇
清和「良房、乱は収拾したが、国政はあまりにも乱れてしまった。これよりはそちが、天下の政を摂行せよ」
良房「はっ!」
N「貞観八(八六六)年八月十九日、清和天皇のこの命により、我々の知る官職としての『摂政』が誕生する。ライバルたちの自滅を受けて、良房・基経父子は、政権を完全に掌握した」
〇良房邸の一室
病床の良房(六十九歳)を見舞う基経(三十七歳)。
良房「私は一度は政権から身を引こうとしたが……それがかえって、政権に混乱を生むことになってしまった。朝廷には、力を持つ者が必要なのだ。そして全ての帝に、その力がお有りとは限らぬ……よいな、基経」
基経「はっ!」
〇関白に就任する基経(四十九歳)
N「元慶八(八八四)年、基経は摂政を務めていた陽成天皇により、関白に任命される。これにより、藤原北家が摂政・関白の地位を独占し、政権を担当する時代がはじまる」
〇平安京・清涼殿
菅原道真(五十三歳)が宇多天皇(三十一歳)に謁見している。
N「しかしそれを快く思わない天皇もいた」
宇多「藤原北家の忠義を疑っているわけではないし、国政への貢献も理解している。それでも、ただ一つの家が国政を独占することに、朕は危うさを覚えるのだ」
道真「ただ一つの家が国政を独占すれば、その過ちはすなわち国家の過ちになりかねませ
ぬ。また、家の利のために、国政を過つことがないとも限りませぬ」
我が意を得たり、とうなずく宇多。
N「藤原北家への対抗のために、宇多天皇は菅原道真を重用する。道真の出世は、醍醐天皇の代になっても続き、昌泰二(八九九)年には右大臣に昇進、左大臣の藤原時平(北家)と肩を並べる」
〇平安京・宮中
道真(五十五歳)と三善清行(中年、道真の学者としてのライバル)が会話している。
清行「道真どの、今からでも遅くない、右大臣の位を返上なされ」
道真「私の学識が、右大臣には不足と申されるか」
清行「いやいや、学識において、あなたの右に出る者はございませぬ」
道真「では政策に不備があったか」
清行「あなたが私心なく、政務に務めていることを知らぬ者はおりませぬ」
道真「ならば何故、右大臣の位を返上しなくてはならぬのか」
清行「……凡人は、正しすぎる者には、ついていけないのです」
道真「……意味がわからぬ」
清行「時平さまをはじめ、北家の方々があなたを快く思っておられぬことは、ご理解されておりましょう」
道真「北家に国政を独占させぬために、私はここまで働いてきたのだ」
清行「しかし今のままでは、矢は思わぬ方から飛んでくるやもしれませぬ」
道真「……ますますわけがわからぬ。急ぐので御免」
立ち去る道真を見送る清行。
清行(M)「下級貴族の多くが、『道真どのの味方をするくらいなら、北家に尻尾を振った方がマシだ』と思っておるのですぞ……」
N「昌泰四(九〇一)年、道真は時平の讒言により、大宰権帥に左遷されてしまう。宇多上皇はこの命令を撤回させようとしたが、醍醐天皇は宇多上皇に面会を許さなかった」
〇大宰府の外れ
ボロ小屋で孤独に書を読んでいる道真(五十八歳)。ふと窓の外の梅の花に目をやり、
道真「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
N「延喜三(九〇三)年二月二十五日、道真は失意のまま大宰府で亡くなる」
〇落雷を受ける清涼殿
逃げ惑う貴族たち。
N「道真の死後、平安京には異変が相次いだ。延長八(九三〇)年には、朝議中の清涼殿に落雷があって死傷者が出た。これを道真の怨霊の仕業として恐れた朝廷は、道真の罪を許すと共に贈位を行った」
〇太宰府天満宮
N「永延元(九八七)年には一条天皇より『北野天満宮天神』の称号が贈られ、やがて道真は学問の神『天神さま』として信仰を集めることとなる」
〇街道
騎乗した武者姿の平将門(中年)が、騎馬武者の一団を引き連れて進軍している。
道の周りに集まった農民たちも、彼らを熱烈に歓迎している。
N「平安京で貴族たちが権力闘争に明け暮れている間、地方の政治はなおざりにされ、土着の武士たちが武力をもって抗争をはじめていた」
将門「朝廷が我らの訴えを聞かぬと言うなら、関東は独立して我らの王国を築く!」
おお、と意気上がる武士たち。農民たちもわっと歓声をあげる。
N「天慶二(九四〇)年十二月十九日、平氏一族の抗争から、成り行きで国府を襲撃した平将門は『新皇』を自称、関東の独立を宣言する」
〇瀬戸内海
多くの海賊船を率いて進む藤原純友(中年)。
純友「関東では将門どのが立った! 我らは瀬戸内海を荒らし回り、朝廷の度肝を抜いてやれ!」
おお、と意気あがる海賊たち。
N「将門の挙兵と前後して、瀬戸内海では藤原純友が海賊たちを率いて挙兵、朝廷は大混乱に陥る」
〇武者姿の藤原秀鄕(老年)・平貞盛(中年)
N「この二つの反乱はほどなく鎮圧されるが、将門の乱を鎮圧した貞盛の子孫から、伊勢平氏や河内源氏などの武家勢力が育っていくのである」
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