現代小説は深刻すぎる。もっとふざけて小説を書くべき。と言う話。
どうも現代の小説というのは、深刻すぎるきらいがあると思われる。
これは多分、ドストエフスキーの読みすぎが影響しているのだろう。
人生を深刻に捉えることが、小説の在り方になってしまったようだ。
悲観主義という亡霊が、小説界をさまよい歩く。
私としては、小説なんて言うものはふざけて書くのがほんとうだろうと思っている。
ふざけて書くと言っても、滑稽話やナンセンス文学が至上と言っているわけではない。
深刻な滑稽談もあるし、ふざけた悲劇もあり得るのだ。
例えば私の今書いているこの文体も、ふざけて作っている。妙に格式ばった文体で書くことによって、私自身ふざけているのである。
そもそも私が小説を書くのは、過去の傑作を自分の手で再現したいという一種のイタコ芸がしたいからであり、本当に伝えたいことというのは、小説の中でも1割あればいい方だ。(そしてその1割が深刻なのだ)
なぜ、深刻な小説は駄目なのか。それは現代人の生活が深刻であるからだ。
小説は、現実ではない。
小説は、現実であってはならない。
私はそう思う。
小説が虚構であるならば、その虚構性を前面に押し出すべきなのだ。
世界が楽しいならば、逆に悲劇を書くべきだ。
世界が深刻ならば、ふざけた小説を書くべきなのだ。
小説に役割と言うものがあるならば、現実ではない世界を提供することが小説の役割だと思う。
現代は、深刻な時代である。
物質的な深刻さは減ったが、精神的な深刻さは増すばかりだ。
誰もがホームレスや殺人者になり得る世の中で、深刻な小説を書くべき理由があるだろうか。
現実にすでにあることを、小説でもう一度やる必然性があるだろうか。
私は、小説に対する一番滑稽な批判は
「こんな会話、実際しないだろ」
という批判だと思う。
小説なのだから、現実の会話を反映させる必要がどこにある。
現実の会話を聞きたいならば、街に出て、人々の会話を盗み聞きすればいいだけの話だ。
むしろ、小説においては現実の会話などあるべきではない。
小説は虚構なのだから、現実にありえない会話をするべきだ。
そして逆に、現実の方が小説の中の会話を取り入れるべきなのだ。
それが正しいからではなく、そのほうが楽しいからだ。
小説に現実のような深刻さを求める人は一体なにが目的なのだろう。
自分の生活に現実感がないから、小説の中に現実感を求めているのだろうか。
そうだとしたら、そんな無意味な努力はやめて、実際に生きてみることだ。
そうすれば「こんな会話、実際しないだろ」というようなバカげた批判をして笑われずに済む。
私としては、私自身の現実と言うものがどうも深刻過ぎて、耐えがたいので、小説だけは深刻さを取り除いて書きたいと思っている。
現代小説というのは、なんというか、「どこかで実際に起こっている感」が強すぎるのだ。
私自身の生活が深刻なのに、小説においても深刻さを出されてはやりきれない。
つまり、私が言いたいのは
小説は現実逃避であるべきだ。
ということだ。
だから私の小説は、具体的な事象をなるべく省いているし、読者に深刻感をいだかせないよう、できるだけふざけて書いている。
深刻感を出さないためには、イタコ芸をするのが一番いい手段だ。
モノマネをすると、作者の深刻感がかなり薄まり、滑稽な感じが良く出る。
最近、「ドストエフスキーを読むな」という小説を挙げたのは、ドストエフスキーを読んでしまうと、彼の人生の苦汁をなめつくそうとする深刻な姿勢が小説に反映されてしまうからである。
小説で深刻感を求める人は、実生活が物足りないのだろう。というより人生を楽しみすぎて、どこかで不幸な気分を感じたいという人が多いのではないだろうか。
本当に悩んでいる人がドストエフスキーを読めるはずがない。
いや、むしろ二日酔いの人が迎え酒をするように、深刻さに深刻さを追加することで、深刻さに酔っているのかもしれない。
それはそれで一つの現実逃避の手段ではあるかもしれない。しかし一番効果的な解決手段であるとは言い難い。
深刻さを打ち消すには、ふざけるのが一番だ。
ふざけて書くには、イタコ芸が一番だ。
ドストエフスキーを読める人は、心の底からの不幸を味わったことなどないのだろう。
大したことがない不幸を、これ見よがしに見せつけることで、自分の人生は何か意味があると思いたいのだろう。
まったくもってふざけている。
現代の深刻な小説などママゴトに過ぎない。
深刻さを演じることができるということは、あなたは十分幸福なのだ。
ドストエフスキーを読める人は、深刻そうな顔をしているが、顔の下では笑っているのだ。
深刻ぶるな。ピエロは仮面の下で泣いているからこそ味わいがあるのだ。
決して、泣き顔の下で笑っているからではない。
笑え!そして仮面の下で涙を流せ。
そうすればあなたの小説は味わい深くなるだろう。
現代作家はママゴトに過ぎない。
ふざけた小説を書くことこそが、反対に人生の深刻さを表現することになるのだ。
それが、私のイタコ芸小説の中で本当に表現したい1割の深刻さなのである。
以上。
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