私がデザイナーになったわけ
「デザイナーになりたいと思ったわけ」と「デザイナーになったわけ」。大体の人の中では同じ話を指しているのかもしれないが、私の中では全く違う話である。
美術系の大学院も修了間際。就職先も決まらずフラフラしている私に、当時出入りしていたインターン先の人事の方はよく親身になって話を聞いてくださった。
「方山さん、就職とか興味ないの?」
「いや、全然興味ないっす」
「なんかいいなって思う会社とかないの…?」
「あー、なんかかっこいいなーって思ってるとこはありますけど」
その人事の方が『なんかかっこいいなーって思ってるとこ』の中の人と知り合いで、そのツテが巡り巡って面接までできたのは、本当に運命だと思っている。
無事面接に漕ぎ着けられたものの、応じてくれた社長の言葉は冷たかった。
「こういう結局何できるかよくわかんない人、ウチにはデザイナーとして入れられないから」
まぁダメだよな…と思っていた矢先のことだった。
「あ、でもアシスタントプロデューサーの枠なら空いてるけど。そこなら可能性あると思うわ」
アシスタントプロデューサーは、プロデューサーという現場仕事をまとめるディレクター的な仕事のアシスタント。簡単にいうと、テレビのADさんの制作会社バージョン的な仕事だ。
将来何がやりたいかも良くわかっていなかった私は、もう最後のチャンスかもしれないと咄嗟に思い、
「やらせてください」
と気づいたら頭を下げていた。
初出勤日からクライアント先への挨拶回りが始まった。先輩プロデューサーのやや雑な運転で、東京中を社用車で駆け巡った。それからは基本的な業務は議事録作成から連絡係、買い出しや、撮影の時はロケハン、ゴミ捨てやお掃除、出演者を朝2時に起こしたり。
「案外私はアシスタントプロデューサー合ってる気がする」
言い聞かせるように過ごす毎日。
とある日の夜だった。
やっと業務が終わり家に帰る途中で、デザイナーの同期とバッタリ会った。最近どうすか、いや忙しくてね、カタヤマは仕事慣れたか、まあ少しは、みたいな会話をしていたところで、同期が言った。
「今の仕事さ、全然上手くいかなくて、もう家でも徹夜で考えてんのよ。それでもわかんなくて。」
私は自分のこと、才能があるとかデザインが得意だとか思ったことがあまりない。だからデザイナーというキャリアはもうないだろうなと思っていた。
しかし考えることは昔から好きだった。美大で課題を出されたら、24時間その課題のことについて考えていた。うまいアウトプットが出たことは数えるほど。でも考える行為が好きで美大にいたと言っても過言ではないかもしれなかった。
そんな美大の時の自分と今の自分を、なんとなく重ねてしまったのであった。
「私は、もう徹夜で何か1つのことを考えることは一生しなくなってしまうのだろうか。」
次の日の朝、クマだらけの目で、私は社用車の中で意を決して打ち明けた。
「やっぱり私、デザイナーを諦めきれません。」
私がデザイナーになったわけ。それは、自分の気持ちに素直になった結果、そうせざるを得なくなったから。そして社用車の中でこの決断を受け入れてくれ、応援してくれた先輩がいるからである。
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