歌の歌詞で、”夢の賞味期限”という言葉が出てきました。この言葉に触発されて、この記事を書いています。ここでいう夢は、寝ている間に見る夢ではなく、”将来の目標/目的”の意味で使っています。
根本的な問題ですが、そもそも、夢って必要でしょうか?。大人は子供に、答えにくい理不尽な質問を投げかけてきます。「○○ちゃんは、大きくなったら何になりたいの?」。まだ経験の浅い子供には、世の中にどのような職業があって、自分がどんな仕事に向いているかかなんて全然わかりません。そこで知っている範囲で「幼稚園の先生になりたい」だの「電車の運転士になりたい」などと答えます。これは一種のパワハラではないかとも思えます。
私も子供の頃に、なりたい職業を聞かれて辟易しました。私には、積極的になりたいものが無かったのです。過去の記事の中でも書いていますが、なりたい職業を聞かれた時には”パイロット”や”エンジニア”と答えていました。これは本当になりたいのではなく、その当時に知っていたカタカナ職業をでっち上げただけの、私の単なる見栄でした。しかし、嘘から出た誠とはこのことで、私はエンジニアの端くれとして仕事をしています。
夢を持つことは良い事だと思いますし、それに向かって努力することはもっと重要です。しかし、他人に”夢が無いのは悪いことだ”と”夢を押し付ける行為”は如何なものかと思います。現時点で夢が無くても、何かのキッカケで夢を持つことになるかもしれません。”夢の賞味期限”についてははっきりとはわかりませんが、”夢を持つ時期に早い遅いはない”ということだけははっきりしています。
キング牧師は、リンカーン記念堂の前で言いました。「I Have a Dream (私には夢がある)・・・」)。これは、”人種差別の撤廃”と”各人種の協和”という高邁な理想を訴えた有名な演説の冒頭です。