朋あり遠方より来る また楽しからずや
『論語』の『学而』に「朋あり遠方より来る また楽しからずや」という有名な一節があります。本来これは、「同じ学問を志す者は、どんな遠くからでも集まって来て一緒に学ぶ。何と楽しいことだろう」という、学問の同志の交流を意味した一節です。
しかし、我々がイメージしているのは太宰治の『酒ぎらい』にある一節です。「ちょうどお酒があるとき、ふらと、親しい人が訪ねてきてくれたら、実に、うれしい。友あり、遠方より来る、というあの句が、おのずから胸中に湧き上がる」。これは、普段会っていなかった友人が訪ねてきて、一杯やりながら旧交を温めるのは楽しいという解釈です。この太宰の独自の解釈が、世間一般に広まったようです。文豪の力、恐るべし。
高校の古文の時間に、正しい解釈を習っているはずですが、私も太宰的な”朋あり遠方より来る”と理解していました。ゴールデンウィーク中、大学時代の友人と飲んだり、遠くにいる親戚と飲んだりと、将に”朋あり遠方より来る”状態でした。
お酒を飲むときに、いつも思い出す言葉があります。それは、『酒は何を飲むかより、誰と飲むかだ!』です。どんなに高級な酒でも、嫌な人に囲まれて飲む酒は美味しいはずがありません。その反対に安酒でも、気心の知れた友人と飲むなら、いつも以上に楽しく飲めることは間違いありません。
『和朋友一起喝酒 一切都会更好』。これは、翻訳ソフトDeepLで中国語に訳したもので、”仲間と飲むと何でも美味しくなる”という意味です。ただし、私は中国語を知らないので、合っているかどうかは判りません。