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織田信長とランチェスター戦略

ランチェスター戦略は、元々イギリスの航空工学の研究者F.W.ランチェスターが、第一次大戦の際に提唱した戦争理論です。ランチェスターは、伝統的な戦闘方式と近代的な戦闘方式では、戦闘力の求め方が異なると提唱しました。この分析が、経営にも応用できると考えられて、ランチェスター戦略を応用した経営理論が多く存在しています。

ランチェスター戦略には、第一の理論と第二の理論が存在します。まず、両方を理論を紹介します。

ランチェスター第一の法則
第一の法則は、伝統的な一騎打ち・局地戦・接近戦を想定しています。このような戦闘の場合、戦闘力は”武器効率”×”兵力数”というシンプルな計算式になります。そのため、同じ武器効率同士で戦えば、必ず数の多い方が勝ちます。例えば、グループA(兵力2)とグループB(兵力4)が戦えば、グループBの方が、1(武器効率) × 4(兵力数) – 1(武器効率)× 2(兵力数) = 2 の僅差で勝ちます。第一法則では、武器効率さえ上げれば弱者も強者に勝つチャンスがあります。具体的には、先程のケースではグループAが武器効率を3倍にすれば、戦闘力が逆転して勝つことができます。このことから、第一の法則は”弱者の戦略”と呼ばれたりします。

ランチェスター第二の法則
第二の法則は、近代的な広域戦の場合を想定しています。このような場合、戦闘力は”武器効率”×”兵力数の二乗”という式で求められます。その場合、グループA(兵力2)とグループB(兵力4)が同じ武器効率で戦えば、グループAの方が、1×(4×4)–1×(2×2)=12の差で圧勝することになります。

生きていた時代が違うので、織田信長がランチェスター戦略を知っていた筈はないのですが、どうやら戦略の天才・信長は、ランチェスター戦略と同様の戦略を身につけていたようです。織田信長の戦いと言えば、今川軍を破った『桶狭間の戦い』と、武田軍を破った『長篠の戦い』です。この二つの戦いには大きな違いがあり、前者は第一法則の応用で、後者は第二法則の応用です。

桶狭間の戦いは、2万5千人の大軍を率い尾張に侵攻した今川義元に対し、尾張の織田信長が本陣を奇襲攻撃し、今川義元を討ち取った信長初期の戦いです。この時の織田軍は多くても3000-4000人ですから、数の上では圧倒的に不利でした。しかし、義元の本陣を急襲した一点集中戦で、逆転勝利をつかみました。このとき今川軍は大軍勢でしたが、本陣周辺に限れば手薄でした。信長は、見事に”ランチェスター戦略・第一”で勝利しました。

長篠の戦は、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った合戦です。数の上でも織田・徳川連合軍が圧倒的に有利ですが、織田軍には500人の鉄砲隊がいます。鉄砲の武器効率を槍の3倍とすると、3×(500×500)=750,000という戦闘力が加算されます。これでは、武田軍は一溜りもありません。武田軍は1万名もの死者を出して惨敗しました。この戦いは、”ランチェスター戦略・第二”の応用です。

そんな天才戦略家・信長も、信頼していた家臣・明智光秀に裏切られて亡くなってしまいます。ひょっとすると、ランチェスターは信長の生まれ変わり?。


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