11/11 チョコプレッツェルの思い出
今日、11月11日は「ポッキー&プリッツの日」です。この日が定められたのは、1999年(平成11年)のことだそうです。調べれば、毎日何かの記念日(?)に行き着きますが、一般社団法人日本記念日協会というところが、企業や団体などの〇〇の日や〇〇記念日を取りまとめています。ポッキーとプリッツの製造メーカーである江崎グリコは、数字の1が4つ並んだ11月11日をポッキー&プリッツの日と申請し、1999年に日本記念日協会から認定されました。申請した1999年の年のポッキー&プリッツの日は、平成11年11月11日で、1が連続して6個も並ぶ日でした。それ以来、20年以上もの間、ポッキー&プリッツの日が広く知られるようになっています。
ポッキーが生まれたのは1966年で、「世界で初めての棒状チョコレート菓子」として、生まれました。世界中で愛されているポッキーの存在を知らない人は、今ではほとんどいないと思います。今日はそのメジャーなポッキーの話ではなく、ポッキーの陰の存在であるチョコプレッツェルの話を書きます。
ポッキーの人気が出て、しばらくしてから、その人気にあやかった類似商品が現れました。それが、カバヤのチョコプレッツェルです。カバヤはラムネ菓子のジュ―Cで有名ですから、子供の頃にお世話になった人も多いかもしれません。チョコプレッツェルはポッキーの類似品でしたが、大きな違いが二点ありました。まず一点目は、チョコレートのコーティングが、中央部にしかないという、ちょっとチープな作りです。たぶん、これはチョコレートの量の節約でしょう。でも利点もありました。ポッキーは片側しか持てませんが、チョコプレッツェルはどちらの方向からでも、手を汚さずに持つことができました^^。それから二点目は、価格が本家のポッキーより数十円ほど安かったことです。
子供の頭でも、チョコプレッツェルがポッキーのまがい物であることはすぐにわかりました。さらに、コーティングされたチョコの質も、本家ポッキーの方が上です。子供たちの間でも、チョコプレッツェルは安物のポッキーという認識でした。しかし、1年で数回だけ、チョコプレッツェルが良く売れる時がありました。それは遠足の前日でした。
今ではどうなのかは知りませんが、当時は遠足に持って行くお菓子の金額に上限がありました。記憶が曖昧ですが、100円くらいだったと思います。この100円内で、いかに多くのお菓子を揃えるかが、子供たちの腕の見せ所です。普段は、お菓子はほとんど買ってもらえないので、遠足の時だけが夢の時間です。当時は100円札を握りしめて、遠足の前日に、友達数人と近所のスーパーにお菓子の買い出しに行きました。
間違いなく美味しいポッキーを買いたいのは山々ですが、ポッキーを買ってしまうと残りの予算が少なくなります。そこで小学生の小さな頭で考えたネクストチョイスが、チョコプレッツェルでした。本当はポッキーが買いたいのに、我慢してチョコプレッツェルを買うわけです。今考えると、何とも切ない思い出です。
カバヤのウェブサイトにカバヤの歴史が載っていますが、チョコプレッツェルは黒歴史のようで、年表から抹殺されています。ただし、キャラクター商品として機関車トーマスのチョコプレッツェルが、その痕跡をわずかに残しています。しかし、チョコプレッツェルのオリジナル方式(?)のチョココーティングではなく、ポッキーと同じチョココーティングになっています。