「虫愛づる姫君」と「蜂飼大臣」
虫愛づる姫君は、自らもムシを飼育し、彼女の供の者にムシの名前を付けるちょっとお茶目なナチュラリスト(?)です。さらに、子どもたちにもムシのアダ名をつけて、手下のように使ってムシを捕まえてこさせます。この話は、12世紀に書かれた短編小説集『堤中納言物語』の短編の一つです。この話では、当時の貴族社会の慣習に反し、平安の宮廷婦人に期待される振る舞いを破る女性が描かれています。
姫君は、和歌に毛虫のことを読んだり、身なりも一切気にしません。姫君は、髪を耳の上に掻き上げ、眉毛を抜きもせず、 歯を黒くすることも怠ります。しかし、この姫君の外見は、現代ならどこにでもいる女性の普通の姿なので、違和感はありません。今流行りの異世界転生などで、現代の少女が転生した物語なら、普通に受け入れられるシチュエーションです。しかし、当時の貴族社会では、当然受け入れられない生き方でした。
姫君は作中人物なので架空の存在ですが、この物語には実在の人物が関係しています。その人物が藤原宗輔・若御前の父娘です。宗輔は平安時代後期の公卿で、藤原北家中御門家の祖です。政治にあまり関心が無く、出世は遅かったのに、政敵が居なかったせいか、最後は太政大臣にまで登り詰めます。この宗輔の異名が蜂飼大臣です。何とも長閑な異名ですが、この異名は『今鏡』や『十訓抄』に登場します。
宗輔は趣味の人で、笛・琵琶・箏に秀でており、「死ぬのは怖くないが、笛が吹けなくなるのが困る」と語ったそうです。娘の若御前も笛の名手だったそうです。宗輔のもう一つの趣味は、自然に親しむことです。当時は公家が自ら草花を育てる事は考えられなかったようですが、宗輔は自ら菊や牡丹を育てて、藤原頼長や鳥羽上皇ら親しい人々に献上していました。宗輔は、歴史の教科書には出てきませんが、元祖ナチュラリストのような特異な存在です。
蜂飼大臣の異名からわかるように、当時の人々を驚かせたのは蜂を飼い慣らしていたと言う逸話です。当時は既に大陸から養蜂技術が伝わっていたとはいえ、身分の高い貴族が蜂を飼うことは嘲笑の対象でした。しかし、宮廷に蜂が大発生した際に、宗輔だけが冷静に蜂の好物である枇杷を差し出して蜂たちを大人しくさせたという逸話が残っています。
『十訓抄』では、飼っている蜂の一匹一匹に名前を付けては自由に飼い慣らして、気に入らない人間を蜂に命じて刺させたと書かれています。さすがにそこまで飼い慣らすのは無理でしょうが、足高、角短、羽斑のように、蜂の外見に応じた愛称の付け方に、蜂への愛情を感じます。
藤原宗輔は84歳の引退まで、長きにわたって仕事(たぶんメインは趣味)を続けました。宗輔は、ある意味で私の理想です。
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