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ウロボロスの遺伝子(9) 第3章 MADサイエンス研究所①

 MADサイエンス研究所は、入り口を除く三方が小高い丘陵地に囲まれていて、三方からの外部の侵入を拒んでいた。そのため、研究所の敷地を取り囲むような壁や柵はなく、見掛けの上では外部に開かれたような解放的な印象を与えている。研究所の敷地と外部を隔てる門はなく、常駐の守衛や門番もいないようなので、黒田は車をそのまま運転して、研究室の敷地内に入っていった。赤城は研究所入口の無防備さに不安を覚えたが、面会時間が迫っていたので、今は深く考えないことにした。山間の村なのに研究所の敷地は意外と広く、その中央付近に研究所の建物がポツンと建っていた。円筒形をした研究所の建物は、マンションで言えば八階建てくらいの高さがあり、その屋上は天文台のドームのように盛り上がった形をしていた。

 研究所の駐車場には、車はほとんど駐車していなかった。十分な駐車スペースがあることを確認した黒田は、建物のエントランス付近の空いている場所に車を止めた。約束の十一時にはまだ五分ほど時間があるが、二人は研究所のエントランスに向かって歩き始めた。

 研究所のエントランスに入るとすぐに、正面上部にある大型液晶モニタの電源が入り、五十歳代と思われるオールバックの髪形をした男性の映像が映った。
「ようこそ、エムエィディ・サイエンス研究所へ。私は研究所所長の仙石です」
「残念ながら、本日は急用でお会いすることができなくなりました。あとのことは、当研究所の副所長と青山君の二人に任せていますので、御心配なく」と最小限の必要なことだけ告げると、画面の映像が突然消滅した。
「音声と映像だけのお出ましですか。なかなかハイテクな研究所みたいですね」
「少し前にインターネットの動画で、ボスが音声だけで指令を出す昔のドラマを見たことがあります。三人の美女が活躍するアメリカのアクションドラマなんですけど、赤城主任は知りませんか?」黒田が言った。
「知りません!」赤城が少し怒りながら答えた。
「じゃあ、テープレコーダで極秘任務の指令が送られてくるスパイドラマは知ってますか?」黒田が畳みかけるように赤城に聞いた。
「知りませんよ、そんなドラマ。ところで、テープレコーダって何ですか? なんだか古そうな響きですね」少しは状況くうきを読んで静かにして欲しいと、あきれながら赤城が言った。

 面白くない親子漫才のようなやりとりをしていると、向こうから細身で背の高い男性が近づいてきた。二人はこの人が副所長だろうかと、緊張して身構えた。
「ようこそ、MADサイエンス研究所へ。そろそろお見えになる頃だと思って、エントランス付近でお待ちしていました。大体のお話は所長の仙石から伺っています。私はサイエンスコンシェルジュの青山海渡あおやまかいとと申します」

 青山海渡は百八十センチは優にあると思われる背の高い痩せ型の青年で、鳶色の目と茶色懸かった長髪を除けば、何とも捉え所のないボーッとした印象の青年である。
「私共は内閣府危機管理局の赤城百花と」
「黒田保夫と申します」
「この度は、例の件でご協力頂けるとのことで、研究所に伺いました。よろしくお願い致します」赤城と黒田は挨拶して、青山に名刺を差し出した。
「ご丁寧にありがとうございます。私も名刺を差し上げたいのですが、当研究所では名刺の作成が禁止されています。それが研究所の規則になっていますので」と青山が申し訳なさそうに言った。
「そうなんですか・・・・・・。変わった規則ですね。ところで、サイエンスコンシェルジュとは何ですか。コンシェルジュという単語から、何となく想像は出来ますが」と赤城が青山に尋ねた。
「最初はサイエンスコーディネータと言っていたのですが、研究所内で“コーディネータは、こうでねーと”という面白くない駄洒落が横行したので、所長が名称を変更しました」と青山が少しも笑わずに答えた。

「サイエンスコンシェルジュについて詳しく説明すると時間がかかるので、今は手短に説明させて頂きます」
「当研究所には、様々な専門分野の研究者がいます。そこで、研究所内の研究員同士の共同研究の橋渡しのお手伝いをしています」
「それから非常に珍しいケースですが、今回のように相談依頼者の相談内容に応じて研究者を紹介することもあります」青山がゆっくりと丁寧に説明した。
「ワインのソムリエみたいなもんですか?」黒田が得意げに聞いた。
「そう理解して頂いても結構です」青山が答えた。

「ところで、先程の仙石所長の映像は本人のものでしょうか?」赤城が疑問を口にした。
「もちろん、違います。『デジタル研究所長・仙石』の映像は日毎にランダムで変わります。今日は男性の映像でしたが、所長の映像が女性の場合さえあります。音声もコンピュータを使った合成音声です」
「お二人はボーカロイドの『花園カノン』を知っていますか?」青山が聞き返した。
「詳しくは知りませんが、音符データを入力して合成音声で歌を歌わせるソフトですよね」と赤城が答えた。
「そうです。実は花園カノンの基本ソフトは、所長の仙石が開発したもので、当研究所が外部のソフトウェア会社にライセンス供与しています」
「花園カノンは音声だけなのですが、先程の入り口のソフトウェアでは、数百種類のランダムな人物映像に合わせて、違和感のない合成音声を作ることができます。声を聴いてて何か違和感はありませんでしたか?」
「いいえ、特には感じませんでした」と赤城が言った。
「仙石所長は、このプログラムをバーチャルなアンドロイドなので、『バーチャロイド』と呼んでいます」

「仙石所長は、どのような目的でこの研究所をお創りになったんでしょうか?」と赤城が尋ねた。
「赤城さんは中国の古典文学の水滸伝をご存知ですか?」
「読んだことはありませんが、梁山泊(りょうざんぱく)というところに百八人の英傑が集まって活躍するお話ですよね」
「そうです。所長は、科学の梁山泊を目指していると聞いたことがあります。この場所では百八人は無理ですが、多くの研究者を集めて科学のユートピアを築きたいみたいですよ」と青山が答えた。
「話は変わりますが、研究所までの道には、電信柱が一本もなかったんですが、電気はどうしているんですか?」赤城は、研究所まで来る道中で気が付いたことを質問した。

「よく気付きましたね」青山が感心したように言った。
「電線は、災害やテロに備えて地中に埋設しています。また研究所の電力は、温泉蒸気を利用した地熱発電で賄っています。星久保村には地下から高温な蒸気が出ている場所があって、その蒸気を使って発電しています。実際には百メートルほどの井戸を掘って、地表の蒸気よりさらに高温な蒸気を利用しています。発電所の発電量は研究所を維持するために十分な量があるので、余った電力は星久保村の皆さんに使ってもらっています」青山が研究所の電力事情について説明した。


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