偉人の別の顔#7 統計学者・ナイチンゲール
フローレンス・ナイチンゲール (Florence Nightingale)は、裕福なイギリス人家庭の令嬢として、1820年5月12日 にイタリアのフィレンツェで生まれました。ナイチンゲールはファーストネームは、出生地のフィレンツェに由来しています。ナイチンゲール家がどれくらい裕福だったかというと、部屋が80室ある本宅と、部屋が18室ある別荘を持っていたそうです。
ナイチンゲールは、一般的には看護師としての功績が有名ですが、Wiki情報にもある通り『近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母』であるとして、統計学の業績が高く評価されています。その功績もあって、彼女は1858年に王立統計学会初の女性会員になりました。
ナイチンゲールは当時の女性としては珍しく、哲学・数学・経済学・心理学・歴史学・フランス語・ギリシャ語・ラテン語・ドイツ語・イタリア語などの幅広い高等教育を受けました。特に語学が堪能だったようで、書き言葉のラテン語を除いて英・仏・独・伊・希の五か国語が喋れたそうです。また、数学にも魅了されたようで、時間のある限り机に向かい数学に打ち込んでいたそうです。その様子は母親が心配するくらいだったそうです。この時の教育が、後の仕事に大きく役立ちます。
ナイチンゲールには業績を讃えた多くの別称がありますが、タイトル画の ”The lady with the lamp (ランプの貴婦人)”や、”クリミアの天使”は有名です。彼女は、クリミア戦争に看護師団を引き連れて赴き、戦場で心も体も傷ついた戦士たちを勇気づけました。彼女の別称である”ランプの貴婦人”は、夜中にランプの灯りを頼りに負傷兵たちの見回りをしたエピソードが元になっています。
献身的な看護は負傷した兵士の心を打ちましたが、ナイチンゲールの本当の凄さは、看護に統計学を応用したことです。クリミアでの看護の間、ナイチンゲールは自身の数学力を駆使して、兵士の死亡原因を可視化した円グラフを作成しました。この円グラフは、12分割されていて、月毎の死亡原因が一目でわかります。このグラフから、兵士の死亡原因は負傷そのものではなく、病院の衛生管理に問題があることを突き止めました。
ナイチンゲールはクリミア戦争の後、看護師教育に尽力するので”近代看護教育の生みの親”としても有名です。それと同時に、医療統計学の先駆者でもあったのです。彼女が考案した死亡率や、平均入院日数の計算方式は、現在の医療統計学にそのまま使われているそうです。
ナイチンゲールの誕生日である5月12日は、『国際看護師の日』に制定されています。
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