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 沖縄がアメリカから日本へ返還されたのは、1972年5月15日です。つまり、沖縄が日本に復帰してから50年が経過しました。当時小学生だった私も、立派なオジイさんになってしまいました。沖縄が日本に復帰した時の記憶は、50年前なのに鮮明です。というのも、丁度この日に新婚旅行の途中の叔父さん(母の弟)夫婦が我が家に遊びに来たからです。

 当時実家は、市営の小さな戸建て住宅に住んでいて、叔父さんが遊びに来たのは初めてでした。何をもらったかは覚えていませんが、お土産をもらってうれしかったことだけは覚えています。あれから50年、叔父さんが生きていれば金婚式を迎えているはずでした。しかし、叔父さんは10年以上前に鬼籍に入りました。半世紀という時間は、本当に長い時間です。

 復帰して半世紀も経ちますが、沖縄には問題が山積みです。新聞やテレビで取り上げられるのは米軍基地問題ですが、本土との所得格差や大学進学率の低さ、太平洋戦争時代の不発弾の問題など、数々の問題が存在しています。

 沖縄には、仕事で何度か訪れたことがあります。一度、地元の人が観光案内の途中で”米軍のジェット機がよく見えるスポット”を案内してくれましたが、離着陸時の騒音(轟音)の大きさに驚きました。また、仕事で泊まったビジネスホテルで出された朝食の卵料理に量が半端ないのにも驚かされました。私は目玉焼きを注文したのですが、三つ目の目玉焼きがやって来ました。オムレツを頼んだ同僚には、巨大なオムレツがやって来ました。夕食には、地元で有名で有名なステーキハウスに連れて行ってもらいましたが、草鞋のような大きなステーキが出てきました。

 これらの体験は30年以上前の話ですが、沖縄での外食メニューの量は、米兵を基準とした量が標準になっているとのことでした。いまでも同じかどうかは知りませんが、そんなに変わっていないはずです。こんな日常にも、米軍占領時代の影響が色濃く残っています。また沖縄の近くには、台湾があります。我々は国境を普段あまり意識することはありませんが、沖縄は紛れもない『国境の街』なのです。

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