今では殆ど見ることに無い旧・百円紙幣(肖像は板垣退助)は、私が子供の頃には普通に流通していました。当時は10円でも各種の駄菓子が買えたので、100円には結構価値がありました。お正月にもらうお年玉も、百円札でもらうことが多かったと思います。その頃のお年玉の相場(田舎限定?)は、百円札2-3枚でしたから、金額にして200-300円くらいでした。時々見栄っ張りな親戚がいて、500円札(肖像は岩倉具視)をくれる人も稀にいましたが、その時には子供心に「なんて金持ちなんだ」と思っていました。
その当時にも、今とはデザインが違う旧・百円硬貨はありましたが、それほど流通はしていませんでした。しかし小6の頃、百円札が廃止され、現・百円硬貨に統一されることが決まりました。以下は、紙幣と硬貨が入れ替わる頃のお話です。
私が通っていた小学校では、小学6年生になると、少し離れた地方都市に修学旅行に行くことになっていました。地方都市と言っても、私の故郷に比べると大都会です。同級生たちも、”大都会”に行けることで嬉しさもあり、緊張感もありました。
どのクラスにも一人くらいはいますが、兄や姉がいて現地の情報を訳知り顔で語り、マウント?を取って来る同級生がいました。その同級生が、「百円札が廃止されることは知っているだろ。もし修学旅行に百円札を持って行けば、田舎モンと思われるぞ!」と言うのです。純真無垢なオレ少年は、「そうかぁ、都会では百円札だと田舎モンと思われるんだ?」と思ってしまいました。
その当時の修学旅行のお小遣いは上限が千円でした。その当時の千円は小学生にとっては大金でしたから、親は10枚の百円札に分けてお小遣いを準備してくれました。内心は「百円札10枚か。これじゃ田舎モンと思われる!」と思いましたが、母親に百円硬貨で準備して欲しいとも言えずに、素直に受け取りました。
修学旅行の当日、実際はどうだったかというと、”田舎モン扱い”されることもなく、レジでおずおず財布から出した百円札は普通に使えました。百円紙幣は徐々に百円硬貨に切り替えられたため、過渡期には百円札も百円硬貨も普通に使われていました。”田舎モン扱い”は全くの杞憂で、同級生のガセネタ情報でした。
”百円札を使うと田舎モン扱いされる”というデマを信じたピュアな子供も、今では清濁併せ飲む”立派な大人”に成長しました。ピュアなあの頃を思い出しつつ、この記事を書きました。