ウロボロスの遺伝子(53) 第9章 首相官邸・再び②
大きなスクリーンに映し出されたその映像には、一昨日の山根たちと福山とのやり取りが克明に記録されていた。山根たちの顔にはモザイク加工が施されていたが、福山所長の顔は鮮明に映っていた。福山は呆然(ぼうぜん)としながら、その映像を眺めていた。
「驚いているところで悪いが、この報告書を呼んでくれ」と毛利首相が、一冊の報告書を福山に手渡した。その報告書は、福山の研究費の不正使用を詳しく調べたものだった。ワクチン研究所では、福山を研究代表者として毎年多くの競争的研究資金を獲得している。しかし、福山は取引業者との癒着関係を利用して『預け金』の形で研究費を不正に貯め込んでいた。報告書には、試薬などの消耗品の発注額と、実際に納入された消耗品の額の差額が表形式で一覧になっていた。不正な預け金の総額は一千万円を超えていた。
「こ、これは、どのようにして調べたんですか?」と福山が聞いた。
「詳しいことは教えられん。日本には優秀な警察官がたくさんいるようだな」と毛利首相が言った。このとき閣議室の入り口の前で控えている守田が、タイミングよく「ハクション!」と大きなクシャミをした。
「何か釈明することはあるかな?」と毛利首相が聞いた。
「私は、研究者には研究遂行能力とともに倫理観と規範順守意識が必要だと思うが、福山所長はどのようにお考えかな? 福山所長、私からあなたに一つ提案がある」と毛利首相が切り出した。
「これは温情で言っているのだが、体調不良を理由に、研究所長と全ての公職を退いてもらえないか。そうすれば、林田さんからの研究アイディアの盗用と山根君免職の原因となった研究データ捏造の件は、時間が経っていることを考慮して、目を瞑(つぶ)ろう」と毛利首相が続けた。
「お言葉ですが、今年は国際ワクチン会議がありますし、私も議長として・・・・・・」福山が喋るのを遮るように毛利首相が言った。
「そのことは心配しなくて結構ですよ。国際ワクチン会議の議長の後任には、ノーベル賞受賞者の白鳥博士を推薦しておいた。この件は既に、白鳥博士にもご快諾頂いている。福山所長、ここで今すぐ決断してくれ」
「――わかりました」福山は項垂(うなだ)れながら渋々と辞職を承諾した。
「今日のここでの話は、一切他言無用だ、福山さん。もしこのことが外部に漏れた場合は、過去のパワハラやセクハラ行為、不正な診療行為の強要、研究費の不正使用などで、あなたに本格的な捜査の手が及ぶことになる」毛利首相が福山に念を押した。
福山はその日のうちに、研究所の所長職とすべての公職を辞任した。