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継続は力なり 祝120,000ビュー

今日の記事は、連続投稿維持のための埋め草的な記事になっています。ただし、それだけではつまらないので小さな蘊蓄を付け足しました。

以下の画像からわかるように、このブログの全体ビューが12万ビューを超えました。駄文ばかりの記事ですが、奇特な方々に読んで頂いて、感謝感激雨霰です。

12万ビューを超えたエビデンス

12万ビューに因んで、12万石の大名がいないかと探してみたらありました。それは四国の讃岐・高松藩(12万石)です。讃岐国高松藩の初代藩主は、松平 頼重よりしげです。寛永19年(1642年)、東讃地域に常陸国下館藩から水戸藩主・徳川頼房の子である松平頼重が入封し、高松藩が成立しました。松平頼重は、水戸黄門として有名な水戸藩2代藩主・徳川光圀のお兄さんに当たります。

水戸藩と高松藩は密接な関係があり、藩主の交換が度々行なわれています。兄を差し置いて水戸藩主になった光圀は、次の藩主を兄である高松藩主・頼重の次男・綱條つなえだに譲り、自身の子・頼常よりつねを高松藩主に据えました。このような藩主交代は、その後も何度か行なわれています。そのため、最後の将軍・徳川慶喜よしのぶは高松藩初代藩主の松平頼重の直系の子孫ということになります。

私にはよくわかりませんが、藩主の交換には、徳川家の子孫繁栄のための何らかの意図があったのでしょう。

※タイトル画は高松城の月見櫓です。

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