デジタル化の危険性
最近、デジタルとアナログの境目を研究しています。
何を持ってデジタルと言うのか。
何を持ってアナログというのか?
定義付けしていきます。
なんでもちょいと検索かけると、
デジタルはバラバラという語源で
アナログは、似ているとか関連のある
とかになるそうです。
知らんけど
デジタル
はい/いいえ
明確(はっきりしている)
正確(几帳面)
論理的(ロジカル)
冷たい(ドライ)
独走(離れている)
デジタル回路
アナログ
はい/いいえ/どちらでもない
不明確(はっきりしない)
不正確(いい加減)
直感的(インテュティブ)
暖かい(ウェット)
協調(密接している)
アナログ回路
こんな表にまとめられていたので紹介します。
なんか釈然とかしないですが、
一つの定義として、こんな感じで分けられるのではないでしょうか
デジタル
0か1か
アナログ
ファジー、0とも1とも
デジタル時計
数字がはっきりしている
アナログ時計
12:00前
アナログはファジーだなぁと。
でも最新の物理学によると
量子力学的にいうと、量子力学はアナログなんじゃないかと思ってしまいます。(0と1の重ね合わせの状態)
話を展開すると、過去はデジタルで、未来はアナログなのではないだろうか?
それはさておき、
デジタルとアナログの違いは
はっきりしているのか、はっきりしていないのかと言う部分になりますね。
実は人類はこの「ファジー」との戦いでした。
デジタルで風送っても気持ち良くないので
「f分の1揺らぎ」とか言う
微妙に揺らぎを起こすシステムを作ったりしました。デジタル的にアナログを作ろうとしたんですね。
そして、
デジタルといえば、PCが不可欠ですが、
エクセルやワードで書かれた書類もデジタルだ
としましょう。
確かにデジタルなのです。
メモ帳でも構いませんが「ワードの文書」としましょう。
そして、
アナログの代表を「紙」にしましょう。
これで、デジタル・アナログ両者揃いました。
「ワードの文書」と「紙」
ですね。
では、
「デジタルで書かれたワードの書類」と「アナログ代表の紙」、
検索の速さはどちらが速いでしょうか?
実は、紙です。
まぁ、「ある条件下」という限定的なものですが、
パラパラ漫画は、一般的には1秒間24コマです。
つまり、24枚のを1枚に処理できるということです。
これは、24枚重ねて、パラパラとした状況を見ています。
しかも、24枚くらいをパラパラしても「大体内容わかっちゃう」んです。
これは人間の脳の処理速度がこれよりも速いからです。
しかし、ワードの文書の場合はこうはできません。
紙のように、弾力もないですし、物理的反発もありません。
あくまで、1ページづつ、くっていく必要があります。
大体、1ページ2スクロール
2スクロールするのに1秒くらいかかてしまいます。
つまり、ここだけでも24倍という結果になります。
それ以上に早くすると、画面の表現がついてきません。
そして、100ページにわたる文書があったとして、
「1番最後のページ」に書かれたかもとなると、ワード文書ではほぼ追いつきません。マウスを腱鞘炎になるくらいくるくるくるくる回す必要あります。
この条件下では、アナログ代表の「紙」に軍配が上がるのです。
そして、単一の文書でそんな感じなのに、複数の文書ともなると
もはや、デジタルがアナログに追いつくことなどできません。
そしてデジタルの場合は、全てデータなので、
電気ショックやコンデンサの不良などにより、データが消えてしまう、あるいはアクセスできないというリスクが残ります。
紙の場合は、「重い、重ばる」というマイナスのがあります。
そう、デジテルの危険性とは、
スピードで負ける
このようにデジタルでは、
検索性を求めているのにも関わらず、「遅い」という問題があります。
アナログの世界は予想以上に速いのです。
そして、解像度の点からも
紙の解像度はどれくらいかというと、
インクジェットなどは、300、とか600です。(ドットパーインチ)
一方画面に表示されるのは72とかです。
つまり、4〜8倍近くの差が出るのです。
この解像度により、視認性が格段に上がります。
データ量が違うのです。
データ量×スピード
ある条件下では、アナログが圧勝してしまうのです。
デジタルの危険性とは、
「デジタル万能説」を唱えてしまうこと。
です。
「デジタル万能」にしてしまうと、逆にリスクになります。
この「デジタル至上主義」が危険極まりありません。
フレキシブルに、お互いの「良い部分」をクリティカルにみるが大事なのです。
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