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「手」が失った仕事

昨年から、夫の国バングラデシュとの二拠点生活をスタートさせて、まもなくまたバングラデシュに行くのですが、

準備をしながら、夫と持っていくものを相談している中で、もっていかないものの代表が「家電製品」、持っていくものはなるべく少なく・・・というのも、日本からバングラデシュに引っ越す人なんてほとんどいないわけですから(汗)引っ越し便というのがないのです。。。

バングラデシュの家には、掃除機、炊飯器、洗濯機、ドライヤー、布団乾燥機など何もありません。

我が家にないだけじゃなくて、基本的に、一般的な平均的な村のおうちにも、都会のおうちにも、それらはありません。

なければないで、それがなくても暮らせないものではないのに、気づけば私たち日本人は、便利と引き換えに「手仕事」の多くを失ってきたものです。

ふと表示されたインスタグラムの情報が、ものすごく今の私の気持ちをまとめてくれていたので、思わず英語をかきとって、翻訳アプリで訳してもらいました。

「1920年代、日本は大きな問題を抱えていた
安価な機械の洪水に直面した
伝統的な職人技を脅かす輸入品を製造した
これに応じて、非常に静かだが強力な反資本主義運動が出現した
民芸とは民俗芸術を意味します
柳宗悦という哲学者が率いる
手作りの美しさと魂を保存しようとした人
匿名の職人によって作られた日用品
だから民芸は名声や知名度を目的としたものではなかった
哲学は無我の芸術創造である
それは自分自身に関することではなく、他者への奉仕である
職人たちは自分の名前に署名したり、個人的な栄光を求めたりしませんでした
彼らの焦点は機能的なものを作成することでした
日常に溶け込む素朴なアイテムたち
テキスタイルやバスケットはシンプルさの中にあるエレガンスの象徴です
宗悦はこれらの見落とされたものを信じた
注意深く意図を持って作られた場合
人生に意味をもたらした
そして普通は例外的なものになる可能性があります
彼はこれらの贅沢な芸術作品にはない美しさを見た
しかし、私たちが日常的に使用する物の中には
本当の芸術とはつながりであることを思い出させてくれる
実用性と人間味」

・・・なんだかわかるような、わからないような訳になったので、少し要約すると

「1920年代、世界的な工業化の波を受け、日本にも大量生産のための大型機械が導入され、安価な日用品がたくさん作られるようになった。
それに対して、伝統的な手法と素朴な素材で日用品を作ってきた職人たちは、地道にコツコツと大量生産に流されないモノづくりの活動をつづけた。

民芸運動を立ち上げた柳宗悦(やなぎ そうえつ)は、日本を代表する民芸研究家であり、宗教哲学者である。
民芸とは、日常の中で使われてきた「日用品」の美しさと魂に光をあてる活動であり、それらの物は無名の職人たちにより作り継がれてきた。

民芸は、作家の名声や富を得るために創作されたものではなく、日常生活において、いかに機能的で美しいものを作るか?使う人の暮らしをよりよくできるか?に創作の焦点があてられている。
衣食住の様々な場面に溶け込む、器、生地、かごといったものは、素朴でありながら非常に洗練されている。

柳宗悦は、芸術作品ではないものの、そういった日用品の中に日本人の物づくりへの精神性や生き様が込められていることを感じ取った。
芸術の本質とは、私たち人間の暮らしとその中に作り継がれてきた美しい道具たちとのつながりにあることを思い出させてくれる。」

夫と出会ったのは1998年、初めてバングラデシュに行ったのは2005年、2009年、そして昨年からの二拠点生活をしてきた中で

コツコツと続けてきた「手仕事」
その方向性というのは、まさにこの投稿者さんがまとめてくださった、哲学者(と紹介されていますね!)柳宗悦さんの活動そのものだと知りました。

日本民芸協会の紹介によれば、柳宗悦さんも、最初は海外に目を向けていたけれど、そこから「宗教的真理と美」、「朝鮮民芸美術館」開設をへて、日本の民芸品「民衆の暮らしの中から生まれた美の世界」へと向けられたそうです。

そう、それです。それです。それなんです!
特別な芸術品も、もちろん素敵だと思います。でも私が強く心を惹かれるのは、日常生活の中で使いながら味を増していき、壊れたら直し、それでも直らなくなったら土にかえる、そういう素朴なもの。

たった100年前までは、日本でも衣食住のほとんどが国産で、機械もなく、人間のマンパワーと「手」によって作られていました。

しかし・・・今は、洗濯は洗濯機がするのが当たり前になってしまった。
米も風呂も、機械と電気が作るようになってしまった。

幸いにも私が通う竹細工工房では、竹を切り出すところからはじめます。
2020年から紡ぎ始めた糸も、徐々にコツを得てきました。
陶芸も興味はあるけれど、土の採取を現場から教えてくれるところが見つからないまま・・・まだスタートできていないのですが、

そうやってひとつひとつ「原材料」から作る練習をしていると、その労力や時間が、いかに尊いものか?誰のために作るか?何のために作るか?がすごくすごく身に染みるのです。

ちょっと買い物に行けば、100円ほどで便利グッズが買える暮らし、手を動かさなくても洗濯物がきれいに洗ってもらえる暮らしでは、感じられないことです。

もちろん、夫の国バングラデシュも、時代の流れとともに、手機織から機械織・染め・プリントの服が主流になっていますが、

夫の生まれ育った村では、機織工房が今も残っていて、そこでは、イスラム教でコーランを全部暗唱できるようになった子供たちにだけ与えられる特別なショールを作っています。

夫の村で親族が運営している手機織工房 バングラデシュ

日本でも、伝統的な和装・着物・帯といったものは、良く調べると今でも国産の素材を使って、手紡ぎ・手織り・染めて作られているものもあります。

本当に守りたいものというのは、命がけで守らなければ、なくなってしまう

最近、そう感じます。

私たちのご先祖様が使っていた手、その手仕事、作られたものは、日常生活の中にあったもので、今の暮らしには残っていなかったり、博物館に飾られているだけだったりしますが

展示物として見るだけじゃなく、今でも使える道具は使い、あらたに作るべき道具は作り、ひとつひとつ、地道にコツコツと「日常生活のなかで使われる美しいもの」を未来につないでいきたいと思います。

「手」から奪われてしまった「手仕事」をとりもどすことが、私たちが失った大切な文化・伝統・習慣もあわせて復興していくことにつながると信じて。

ラップトップチャルカ 小さな折り畳みの糸車と紡いだ綿の糸


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