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サンクチュアリ

「サンクチュアリ」という言葉をはじめて知ったのは、吉本ばななさんの小説でした。

当時は、まだ愛とか人生とか、そんなことはたいして理解できていない中学生。

しかし、人生の儚さ、人の弱さ、それでもうっすらと見えそうで見えない愛というものへのあこがれ、

「サンクチュアリ」という言葉の響きが、常に私の中にうっすらと残り続けていたのだと思います。

2007年頃から、タロット、占星術、カバラなどを学び、その際に人生の目標について考えたり決めたりしてゆく時間をたくさん持つことができました。

当時の私は、子育て(当時は長男7歳、次男2歳)と仕事で手一杯で、なんとか手に入れたギリギリのお金と時間で、わくわくするような学びの時間を持てることが幸せでしたから、

それ以上に夢とか目標を描くことは、はじめのうちは、五里霧中…うまく道を見いだせずにいました。

しかし、何度も何度も繰り返し、願望実現というワークに取り組むなかで出てきたものは

当時の自分と同じく、子育てや仕事におわれ、自分自身と静かに向き合う時間のない、お金もそんなにない、将来の夢や目標もない、

そういう女性たちに、ほんのひとときでもゆっくりと自然の中で、お日様ぽかぽか、鳥の声を聴きながら美味しいご飯やスイーツを食べたりしてのんびりしてほしい、そういう場所を作りたい、というものでした。

大きなカリフラワーと実がたっぷりのココナッツ

一般的に、サンクチュアリという英単語を日本語に訳せば、聖域となります。

しかしながら、私が作りたいと思ったのは、神社やお寺のような場所ではなく、

自分自身が国際結婚ということもあり、宗教的なくくりや象徴のない、アニミズム的な場所。

シンプルで自然なもの、心と体、さらにお財布にも優しいものや情報、そういったものを大切にして生きている人たちが集まる場所です。

夫が市場で買ってきたお魚さんはまだ生きてました

ここ、バングラデシュでは昨年から夫の生まれ育った田舎の村に家をたてはじめ、やっと少しサンクチュアリの一部が出来てきました。

ここでの私の目標は、この村に古くから伝わる良いものを大切にしながら、今の人たちが失いつつあるものを復興してゆくこと。

そう遠くない昔、ここは手紡ぎ、手機織りの村として栄えていて、村のほとんどの人はその事業に携わっていたとのこと。

しかし、機械化により、手紡ぎ・手機織りの仕事はほとんど失われ、今では、親戚が手機織りの工房で、イスラム教徒のためのショールを作っているのみ。

家の裏にある池

我が家は、すぐお隣が、義兄の作ったマドラシャ(イスラム教徒の学校、一般的な教育も行っている)と、エティンカナ(孤児や貧しい子たち50名ほどは寝泊まりして暮らしている)なので、

常にとても賑やかな子どもたちの声、鳥の声、野良犬・野良猫・鶏・ヤギの声が聞こえます。

日本の住まいも、すぐ近くに小学校・中学校・大きな公園があるので、賑やかではありますが、

大きな違いは、ここでは車の音が聞こえないこと、飲み水など生活用水は汲み上げ、ガスはプロパン、洗濯機も掃除機も電子レンジやオーブンもないということです。

日本での暮らしが、いかに家電に溢れていたか?を思い知らされます。

かぼちゃの花が咲きました🎃

それと同時に「祈りの身勝手さ」にもふと気づいてしまいました。

学校のはす向かいには、モスク(イスラム教徒の礼拝所、これも義兄が建てた)があり、村の男性たちは、1日5回お祈りをしに来ます。

女性は、男性とは別室でお祈りする必要があるため、このモスクではまだその仕組みが出来ていないのですが、

私も親切なご近所さんに教わり、お祈りを少しずつ暮らしの中に組み込むようにしています。

お祈りは、各回ごとに唱える言葉、回数、時刻などが決まっていて、言葉はコーランの章を少なくとも2つは覚える必要があり、

私はまだアル・ファティハというはじまりの章をやっと覚えたばかりですが💦

とにかく祈るときには無心です

日本の神社仏閣で、あーだこーだと願い事を並べ立てるのとは大違い…しかも、暑い日も寒い日も毎日5回、断食月には太陽が出ている時間はご飯も食べず水も飲まず…

市場の果物屋さん

もちろん、それをすべてきちんと行わない人たちも増えていると思いますが、

私が不思議で仕方がないのは、なぜ、日本人と比べても、なんでも割りといい加減だったり、お行儀もよろしくなかったり、道にゴミをポイ捨てしちゃうバングラデシュの人たちが

アラビア語で毎日5回のお祈りをする、お祈り前には手足、顔、耳や鼻まできちんと洗う、イスラム教が根付いたのはなぜなのか?ということ

イスラム教といえば、サウジアラビアのメッカでありバングラデシュからもメッカにあるカアバ神殿の方向に向かってお祈りしています

余談ですが、我が家のトイレが変な方向を向いていまして、なぜこうしたの?と聞いたら「あちら側はメッカの方向だからお尻をむけちゃダメ」との理由でした。

さて、ここで「サンクチュアリ」に戻ります。

私にお祈りを丁寧に教えてくださるご近所さんは、熱心にイスラム教がほかの宗教とは異なり、オリジナルなんだと話してくださいましたが、

私はタロット等の勉強をした際に、聖書についてもたくさん教わる機会に恵まれました。

なので、イスラム教のみならず、キリスト教やユダヤ教も「旧約聖書」は共有しているということもなんとなくは理解していますし、

夫と結婚するまでは、自分の信仰に明確な答えを持っていませんでしたから、これからもイスラム教の良し悪しも冷静に見つめていきたいとは思いますが

もしも私が神様なら、私利私欲にまみれた願望を年に数回だけ投げ掛けてくる人より

毎日、無心でお祈りをして暮らしながら、どうしてもの時にお願いを投げ掛けてくる人の願いを叶えたいな~と、ふと思ってしまったのです。

その時、冒頭の吉本ばななさんの小説サンクチュアリのこともふと思い出しました。

「人生は幸せなことばかりじゃない、辛く悲しいこともたくさんあり、むしろ幸せなんてほんの一瞬でしかない。でもその一瞬のために頑張れるようになるからね!」

そう教えてくれたのは、私が長男を出産した時の助産婦さんでした。
※心に残る上司の言葉 に参加してます。上司ではないのですが、本当にこの言葉に何度も救われてきました。

当時、夫はまだドイツにいて学生、パスポートも持っていない難民、入籍も当然、出来ていなくて、私はシングルマザーとして出産しました。

夫と入籍して、一緒に暮らしはじめるまでの3年間は、小さな長男を常に抱えて働き、少しお金が貯まるとドイツに行く、そんな暮らしをしてました。

思えば…あの頃から、我が家は日本と海外の二拠点生活だったんですね(笑)

27年前に購入したベルリンの壁

バングラデシュの家にくるたびに、日本から荷物を少しずつ運ぶため、整理していたら出てきた「ベルリンの壁」

その色と、バングラデシュの家の壁の色がシンクロしてます💙

家の前、井戸を掘ってもらいました

バングラデシュでも、やることは山ほどあり、タイミングやご縁、試みをしてゆきますが、

私の思い描くサンクチュアリは、ここだけでなく、日本にも必要だと思っています。

必要なものや人やご縁というのは、ちゃんと最適なタイミングで用意されると信じているので

日本でも、のどかな里山でバングラデシュのようなシンプルで素朴な暮らし、モノ作りをしながら、

暮らしに疲れた人たちを受け入れられる場所がいつか作れるかなと思っています☺️✨

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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チャンネル名に悩みましたが、ここ数日でサンクチュアリのことを思い出せたので、サンクチュアリと入れました。

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