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出さなかった50年前のラブレター(#キナリ杯)

新型コロナの影響で自粛ムードが続き、ずっと家に籠っていた。
時間があるので、日頃まったく整理していない押し入れの中の整理してみた。

なにやら相当古そうな、忘れていた段ボールの箱が出てきた。

その中を、早速開けてみると・・・。

なんと、学生時代のノート類や学生時代のレポート、走り書きのメモ、はたまた手紙の束が出てきた。
古いもので、なんと50年前のもの。我ながら「もの持ちのよさ」と「捨てられない性格」に呆れる。

その中で、一番びっくりしたもの。それは、ずっと昔の出さなかった(渡せなかった?)ラブレターが出てきた。
なんと、日付は、73/5/11。いまから、47年も昔のものだ。
見覚えのある文字。それは、思春期真っただ中の、中学3年生の頃の自分が書いたものに間違いない。
手紙の存在も、その頃のことも、いまではほとんど思い出すことはなかった。でも、思い起こせば、当時、近づく高校受験に不安を募らせながら、好きな女子に胸をときめかせていた。そして、いつもキラキラとした木漏れ日の下を走り回っている毎日だった気がする。

・・・それは、記憶の美しい嘘かも。

さて、相手は、隣のクラスの女の子。Yさん。
ちょっと丸顔の明るい女子だった記憶がある。
内容は、恥ずかしすぎるので、ここでは明かさないけれど、相手のことを当時絶大な人気を誇っていた「天地真理」のようだと表現している。

・・・思わず、赤面。

「メランコリー」「センチメンタル」「ナイーブ」・・・当時、聴いていた歌謡曲の歌詞 憶えたての横文字のキーワードを駆使して、いかに、自分が「貴方は僕にとって気になる存在であるか」をアピールしている。  
思い切り背伸びしていた自分。
そして、これまた当時流行っていたペラペラのソノシート「ウィスパー・カード」のように、文字通り薄っぺらなことを書き連ねていた。

なぜ、これを出さなかったのか? 
もし、これを当時Yさんが読んでいたら、彼女はどんな気持ちになっていたのか?

いまとなっては、曖昧だけれど、当時の思い出がうっすらとよみがえってくる。そして、恥ずかしい気持ちと甘酸っぱい思い出で、なんだか、そんな当時の自分自身が、とてもいたいけな感じさえする。

誰かが言っていたけれど、懐かしさの正体は「その頃の自分が愛おしい」・・・きっと、一種の自己愛なんだろう。

あれから、約半世紀。
考えてみれば、気が遠くなるほど、月日が流れた。

天地真理を彷彿とされる彼女は、いまどこにいて、どんな生活を送っているのだろう?(ちなみに、本物のの天地真理は、現在、自己破産の後、ひっそりと某施設で生活していることを2.3年前のニュースで知った)
そんなことをちょっと想像してみた。・・・イメージが飛ぶ。

今回のラブレターを読み返してみると、懐かしい友達と久しぶりに再会したようで、優しい気持ちになった。
長引く自粛ムードの中、さすがにストレスが溜まっていただけに、遠い過去の記憶が心を癒してくれた。
少年時代のノスタルジーに、ちょっと救われた。

もしも、自分たちの心に、たとえ一つでも良い思い出が残っていれば、いつかそれが僕らを救ってくれる・・・。
ずっと昔読んだ、そんな「カラマーゾフの兄弟」の言葉を思い出した。

#キナリ杯 #天地真理 #コロナ自粛 #ラブレター #カラマーゾフの兄弟

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