19世紀。リーバイスに初めてデニム生地を供給したアモスケイグ社の隆盛と終焉!?
アモスケイグ社。
ジーンズ好きなら耳にしたことあるこの名前。
独り言の中でも何回か登場していますが、
リーバイス社黎明期から1915年頃まで
デニム生地を供給していた会社です。
この名前変わってますよね。
実は「アモスケイグ滝」
という滝の名前が社名の由来。
このアモスケイグ社はニューハンプシャー州
マンチェスター市にかつてありました。
この街はメリマック川という川を中心に水力を
使った工場が数多く建てられ繁栄した街として
知られています。
もちろんアモスケイグ社も水力繊維工場として
アモスケイグ滝のほど近い場所に
誕生。1830年には法人化され
アモスケイグマニュファクチャリングカンパニーと
なります。
工場の横にはレールが敷かれ、南部から綿花が
供給され、そして完成した生地は貨車に
乗せられアメリカ全土に供給されて行きます。
やがてアモスケイグ社は19世紀を通じて世界最大の
綿織物工場になるんです。
19世紀後半にはリーバイス社が顧客になったことも
経緯を考えればうなずけるところですね。
アモスケイグ社はリーバイスに50年近くの間
9ozの白耳デニム生地を提供し続けます。
このアモスケイグの生地はいわゆる「ロープ染色」
ではないので今私たちが知っているジーンズとは
また違った色落ちをします。
この19世紀
アモスケイグ社の周辺はいわゆる工場を中心とした
街になっていたそうです。
周りには従業員の家族が住み、衣食住を提供する
代わり、家族全体、子供に至るまで労働力として
忠誠を尽くす。
今考えると前時代的な感が否めませんが
この労働力が
世界一に押し上げる原動力となったことも事実です。
アモスケイグ社は繊維だけでなく、南北戦争中などは
銃や機関車、消防車なども製造していたようです。
20世紀に入ると水力ではない新しいエネルギー源を
使用した繊維工場が数多く誕生します。
アモスケイグ社はこの新しい波に乗れず綿花を安定的に
仕入れられなくなったばかりでなく、エネルギー源もより
パワーのある工場に徐々に太刀打ちできなく
なっていくのです。
そんな時19世紀末期に誕生したコーンミルズ社に
リーバイス社のデニム生地供給を独占されて
しまいます。
コーンミルズ社は糸の染色技術でも先んじており
すでにロープ染色の特許を取りつつありました。
ロープ染色は今までの糸染色に比べ膨大且つ
スピーディに糸を染めることができました。
そしてその技術によって
おそらくアモスケイグ社の数十倍のスピードで
生地を供給できたのではと思います。
大量に安定的に供給されるコーンミルズ社の
デニム生地をリーバイス社が選択するのは
自明の利。
一方でアモスケイグ社には綿花が安定的に供給
されなくなっていたのも、おそらく他社の方が
大量に綿花を発注してくれる。そちらに優先的に
綿花を回した結果だったのではないのかと思います。
こうして1915年にリーバイス社との契約を打ち切られた
アモスケイグ社は第一次大戦後
アメリカの不況に合わせて売り上げも減少。
労働者のストライキにもあい、徐々に衰退。
1929年の世界大恐慌が追い討ちをかけ、技術革新が
出来なかったアモスケイグ社は1935年の
クリスマスイブに破産します。
ニューハンプシャー州のマンチェスターには
今でもアモスケイグ社の跡地や工場などが残っており
往時を偲ぶことができるそうです。
常に新しい力が古いものを凌駕していくのは
いつの時代も変わらないですね。
とはいえアモスケイグ社のデニム生地がなかったら
今ジーンズが存続しているのかすら危ぶまれるの
ですからアモスケイグ社もジーンズの歴史に
とってはとても重要な1ページと言えると思います。