蒐集することへの言い訳
最近本を読む時間が以前よりとれるようになってきた。
学生時代から読書に勤しんできたものの、仕事に就いてからその時間は日々減っていき、気づけば月に一冊読めるかどうか、というくらいになってしまった。
しかし、読める時間が少しずつとれるようになると、気も大きくなるもので、今度は積読が捗ってきてしまう。
積読になると、その上にどんどん本を積み重ねかねないと思い、壁にならべ、早く読まないと作業スペースが奪われるぞと、自分にプレッシャーをかけ始めている。
何も優越感に浸っているのでなく、プレッシャー。
そのために今度は仕事を早く切り上げねば、とそのプレッシャーは連鎖して、今は効率的な仕事もできている、と思いたい。
それでも週に1、2冊のペースで読めるようになってくると、今度はそれを読む場所が改めて 気になってきた。
環境はとても大切だ。
書斎はその最たるもので、好きなものに囲まれ、あるいは何も目に入るものない状態をつくりだしたいと考えるようになる。
それに音楽も必要かもしれない。
不思議な事に、BGMが流れるカフェや喫茶店では、周囲の喧騒をそれほど感じず、また、そのBGMに聞きほれすぎることもない。
「目的」を意識して書斎づくりをしたいと思うものの、仕事道具も机上には多く、どうしても仕事の事から頭が離れなくなることもある。
上記に書いた通り、初めて万年筆を手にしたのは神保町の金ペン堂。
この店に入ったときに、気持ちが昂ったのは、万年筆を初めて買おうという昂揚感だけでなく、あの良い意味での狭さもあったと思う。
元来、狭いところに魅かれる人は多いように思う。
「秘密基地感」は書斎にも必要だ。
狭くて、自分の好きなものに囲まれ、だがそれが他のことをもしするとしても邪魔にならず、いつでもそれに触れられる心の余裕のある環境が望ましい。
心落ち着く、すぐに欲しいものが手に取れるだけの狭い環境を手にするには、いかんせんまだ物が少ない。
これでは居心地の良い環境とは言えない。
「知の巨人」立花隆も言っている。
「壁の中の自由な空間としては、椅子のまわりの、ほんの半畳程度の空間しかなくてよい。書斎では椅子に座っている以外のことはしないのだから、それ以上の空間は必要としないのである。また、それだけ狭く空間を構成することによって、機能性がより高まる。」
『ぼくはこんな本を読んできた』(文藝春秋、1999)、91頁。
今、私の書斎は万年筆とインク。積読、雑然とおかれた仕事道具や大量に買い込んだノートに囲まれている。
それでも蔦屋書店に本、伊東屋などに文具、増えすぎて収拾がつかなくなるインク、ノートを見に(=買いに)行ってしまうのは、きっと居心地の良い場所作りのためである。多分。
物を買う、増やすという大義名分は手にした。
実際買っておしまい、というものは何一つなく、すべてしっかりと目的をもって使用し、飾り、眺めている。
まさに機能性の向上を常に画策しているわけだ。
だからまた、コロナが落ち着き、世の中が落ち着きを取り戻したら、机の上を雑然とさせるだけの文具を買い求めに行きたいと思う。
もちろん、財布と相談をしつつ、かつ当然のように「目的」を持った買い求め方をする。
大量に購入すれば、機能性の高い、心地よい書斎、空間づくりの一端をそれが担うのだから。
最後に
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