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№360 宗教弾圧は嘘。言ったもん勝ちの歴史。



さて、今日は歴史のお話しです。

「朝鮮出兵」「バテレン追放令」は、
日本を守るための戦略だったという事をご存じでした?

日本史ではあまり語られてない、
豊臣秀吉とヨーロッパ列強との
熾烈な戦いがありました。

つまり
日本の植民地化を防いだ英雄は、
豊臣秀吉なんだよね!というお話しです。


=====

皆さんも一度はこの文書を
教科書などで目にしたことがあるのではないでしょうか?


(出典:Wikipedia)

これは、1587年に
豊臣秀吉が出した『バテレン追放令』です。

主にキリスト教の宣教師に
国外退去を命じたものでした。


しかし、なぜ秀吉は、
一方的に宣教師を追い出そうとしたのでしょうか?


元々、秀吉は織田信長と同じく
キリスト教の布教には寛容だったのですが、

実は、"ある出来事"をきっかけにして
秀吉は、宣教師を敵対視することになったのです。



それは、
「日本人奴隷の海外流出」という事件があったからなのです。


当時、日本人は
キリスト教の団体「イエズス会」を通じて、
海外に奴隷として売られていました。


一説によると、
その数はおよそ50万人とも言われています。

戦国時代の人口が
1000~1500万人と言われているので
かなりの割合の日本人が奴隷になっていたことが分かります。


当時、ヨーロッパへと旅立った
天正遣欧少年使節の記録によると、
 
寄港した先々で、
裸で首に縄をかけられ、
家畜同然に扱われている日本人があちこちで見られたそうです。


実は、日本で買い取った奴隷を、
ヨーロッパまで運ぶと
元値の百倍となったそうなのです。

まさに濡れ手に粟の美味しいビジネスだったという訳ですよね。


そのため、同じ日本人であるはずの
九州のキリシタン大名たちも、
自国の領民たちを奴隷として輸出していました。


こうした悲惨な日本人奴隷の実態に激怒し、
彼らを救うために立ち上がったのが
実は秀吉だったのです。


世界的にもヒットした
「沈黙」という映画ありますが、
この映画ではちょうど
彼らが活躍していた頃の長崎が描かれ、
キリシタンは日本で迫害に晒される可哀想な存在で、
宗教を弾圧した日本人は悪魔である、
というような内容でした。


しかし、現実は正反対です


そこには弾圧せざるを得ない
状況があったのです。


先ほど述べた、
ポルトガル商人による日本人の奴隷化のほかにも、
次々に破壊される神社や仏像などの暴力行為を始め、
岬の教会では大砲で武装化した要塞を設置するなど、
まさにやりたい放題だったのです。


学校の「日本史」ではほとんど
触れられることはありませんでしたが、
およそ450年前、長崎では事実上の
欧米による日本の植民地化が起こっていたのです...


キリスト教についても、

「イエズス会など欧米からやってきた
宣教師たちは“布教”を目的に来日した」


と学校で教わりましたが、


現実は、キリスト教を道具にして
日本での支配を広げたかったのです。

今、ボクたちは
大東亜戦争にしても、
このようなバテレン追放令にしても
日本人が悪い!
日本人が悪魔だ!
という洗脳を受けて育ってきましたが
そろそろ覚醒するべき時に来ています。




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