京奈和自転車道(京都〜奈良〜和歌山)を辿るサイクリング旅 2024年春 【概要編】
学習支援活動(注1)がお休みになる年度末の3月末から4月初めの期間が、季節的にもサイクリングの絶好のタイミングである。昨年の秋に初の九州サイクリングを構想していたが、コロナ罹患や母の死去で実行できなかった。さらに、この春は、諸事情が重なり、6日間が旅に当てられる最長の日程となってしまったため、九州旅は断念した。もう一つの目標である、四国の太平洋側サイクリングも、同様に日程的に厳しいと判断。迷った末に、一昨年に京都から大阪・神戸・淡路島・四国と走った際に”発見”した、京都嵐山から奈良市街を抜けて和歌山市に至る”京奈和自転車道”を中心に辿る旅を実行することにした。
「世界を体感して知る」旅の観点からは、高校の修学旅行以来となる奈良の古寺と仏像群との再会が最重要となる。加えて、平安京都から地理的に離れていて、今まで何度も京都を訪れて神社仏閣を巡っていても、訪れる機会がなかった宇治平等院、さらに、徳川御三家の一つである紀州家と、日本一の水量変化により治水が難しかったという紀ノ川によって形作られた街、現和歌山市が大事である。実質的には和歌山市を終着とするサイクリング旅だが、帰京の帰り道として和歌山市から大阪市中心部までの道のりもおまけで走ることにした。
このところの温暖化で春の訪れが早くなって、桜の開花が3月中旬過ぎで、3月中には満開になる気候が続いていたが、今年は、かつての春の訪れに戻ったように、桜の開花が3月末、満開は入学式の時期となった。そのため、サイクリング出発の前泊をした京都市内は、桜の花はほとんど見られず、お花見を期待して来訪した観光客は肩透かしを喰ったようだ。前泊の3月28日は午後から雨が降り始め、夜半にはかなりの雨量があったようだった。しかし、出発日の朝から天気が回復に向かい、以後サイクリング中、ずっと好天が続き、帰京してからまた天気が崩れるという、日頃の行い(?)が天に祝されたような旅となった。
(注1)家庭環境が厳しい子どもたちを、勉強を見てあげる活動(無料)を通して支援する活動
総走行距離:256km
荷物:5.5kg(走行中背中に担ぐザックの総重量)
走行ルート
初日:
京都嵐山の渡月橋を渡ったところ、下流側の川縁に公園があり、砂利が敷き詰められたその公園を抜けて太鼓橋を渡ると、左に「京奈和自転車道」の起点を示す標識が立っている。ここから桂川沿いに自転車道が伸びている。
松尾大社や桂離宮の近くを通り過ぎ、左から鴨川が合流する地点で、鴨川側に渡る。ここからは、一昨年に走った道になる。今回は、ここから3kほど走ったところにある羽束師橋で自転車道を離れ、一般道を東に宇治を目指す。観月橋で宇治川を渡り、川沿いを上流へ一般道を走ると、宇治川に接した宇治平等院へ辿り着く。
京奈和自転車道は桂川、宇治川、木津川の3つの川が合流する地点まで桂川を下り、そこから木津川を登っていく。平等院からこのルートに戻るには、軽い丘越えをして、木津川へ向かう。途中に”流れ橋”で知られる上津屋橋で木津川に合流したかったが、宇治ですっかりのんびりしてしまい時間が厳しくなったため、さらに上流にある山城大橋へ出た。ここからは木津川の土手に伸びる自転車道をひたすら走る。南に向かっていた木津川が、L字上に急に東に向きを変える地点で道がややこしくなっていて、すでに暗くなっていたこともあり道を間違えた。川沿いに直進して走ってしまい、”京都八幡木津自転車道”終着点という標識にたどり着いてしまった。どうやら京奈和自転車道と大半が重なるローカルな別の自転車道のようだ。暗くなってからの道迷いに加えて、スマホのバッテリーが上がってしまい、さらにテイルランプのバッテリーも切れていたことに気が付く(ヘッドライトは旅の前にしっかり充電しておいたので問題なかったのだが・・・)。今回の単独ツーリングで最初の試練に遭遇。やや心細く感じながらも、標識を頼りに幹線道と思しき一般道を奈良方向と思われる方向に向かって走る。なんとか無事に新大宮駅前の宿所に到着した時には午後7時を過ぎていた。
走行ルートGPSデータ:なし(喪失)
二日目:
奈良市内に入ると、奈良市が設定した観光自転車道が、やや大袈裟に言えば”縦横無尽”に走っていて、どれが京奈和自転車道か判別が難しい。今回のように、奈良の古寺仏閣を訪れながらのサイクリングとなると、もはや、特定のサイクリング道を辿ることはあまり意味がないだろう。今回は東大寺を訪れたため、平城京跡近くを走る京奈和自転車道からは一旦外れ、西ノ京で再び合流した。西の京の唐招提寺と薬師寺を拝観した後、斑鳩の里へ向かい法隆寺を拝観した。
斑鳩の里からは、真っ直ぐ南下して大和高田市へ。このルートは、京奈和自転車道の一本西側をほぼ並行して走ったことになる。京奈和自転車道は、このあと飛鳥地方へと向かうが、今回は、西の京と斑鳩での古寺拝観に時間を使い過ぎて、もはや飛鳥地方を巡っている時間の余裕がなくなったため、さらに真っ直ぐ南下して、葛城川沿いを緩やかに登っていった。最後に標高210mの”風の森峠”を越えると奈良県五條市に入り、紀ノ川(奈良県を流れている間は吉野川と呼ばれる)沿いの谷へと降りていく。峠へと登っていく途中に、放置されたようなちょっとした空き地があり何体もの人形が色々な格好をして立ったり木に保たれたりしていてちょっとギョッとする。あとで宿所で聞いた話では、土地の所有者が、運転者の気付け、眠気覚ましのつもりで飾っているらしい。しかし、逆効果ではないのかな・・・
走行ルート:
三日目:
京奈和自転車道は、さらに上流で紀ノ川(吉野川)沿いに出て、五條市の広がる右岸の対岸になる左岸沿いを下っている。五條市に宿泊すると、一旦左岸に渡って自転車道に出る必要がある。右岸には幹線道路である国道24号線が走っているので、そのまま走ってしまうと、味気ない自動車道で紀ノ川河口まで走ってしまうことになる。
関東圏の人間には、五條市と言われても、どこのどんな都市なのかピンとこないだろう。大和国と紀伊国を結ぶ紀州街道の要衝の地で、今でも旧道沿いに往時を偲ばせる街並みが残っていて、風情を醸している。
紀ノ川沿いには、桜で有名な吉野から始まる”紀ノ川自転車道”が設定されていて、もはや、”京奈和自転車道”と分かち難く、どちらがどちらか、わからなくなっている。自転車道は、大半は、左岸の地形に沿って残る旧道と紀ノ川の土手上に設定されている。紀ノ川沿いにも、色々な自転車道が設定されているようで、道路上の道標だけでは、どちらへ進んでいいかわからなくなるところもある。一度は、道路上の左折の矢印に従ったら、高野山に登っていく道に導かれた。中流に広がる紀の川市に入ると、ピンク色の艶やかな花が満開となった桃林が続いて、美しく穏やかな春の風情を醸し出している。地名が「桃源郷」という場所もあり、花見の観光客が多く訪れていた。自転車道は、その「桃源郷」で右岸に渡る。
ここからは、河口まで右岸の河川敷に、一部を除きよく整備された自転車道が設置されている。ただし、そのまま走ると、土手から遠ざかり、河川敷から土手へ上がる道がなくなり、河口まで導かれてしまうようだ。和歌山市の市街は紀の川の左岸に広がるので、広々とした紀ノ川にかかる大橋のどれかを渡らないと、市街地にたどり着くのに河口経由の大回りになってしまうと気づき、せせらぎ公園まで戻って土手に上がり、歩行者・自転車道が自動車道と分離されている「紀の国大橋」を渡って、市街の中心部にある和歌山城へと向かった。
走行ルート:
四日目:
和歌山市で、京奈和自転車道は終着となり、サイクリング走行の目的は達成したのであるが、帰りのルートは、大阪に出て新幹線で帰京となるため、和歌山市内から大阪までの移動をどうするかが問題となる。輪行で移動するか、走るか。調べたところ、70km程度の距離とわかったため、走ることにした。しかし、このルートは、自転車道が整備されておらず、かつ交通量が多い幹線道路を走ることになる。沿道の見どころとして、岸和田の岸和田城、堺の仁徳天皇陵、シマノの自転車博物館などがある。このうち、岸和田城は、走行ルートに面していたため、予期せず立ち寄ることができた。仁徳天皇陵は、時間に余裕がなく訪れることができなかった。自転車博物館は、ルートを大きくはずれて訪れてみたのだが、入り口前に到着して休館日だったとわかった。月曜日だったのだ。曜日感覚がすっかり飛んでいた。それにしても、その建物の巨大さにはびっくりした。どんな展示があるのか、興味がさらに高まった。
この最後の走行は、大阪淀屋橋で終えた。淀屋橋には、駐輪場が見当たらず、食事中、やむをえず何台も駐輪してあった御霊神社入り口横に(勝手に)駐輪させていただいた。平日の夕方の時間に、輪行袋を担いで地下鉄に乗るのは不安だったため、ここで輪行袋に収納して、新大阪までタクシーで移動した(およ3千円)。
サイクリングルート情報:
https://www.pref.kyoto.jp/doroke/bic-kidu.html
https://www3.pref.nara.jp/cycling/map/
https://www.pref.nara.jp/62778.htm
おわり