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命
2月18日
やえ(仮名)さんが 突然逝ってしまいました
77歳でした
最近車の免許も更新され
身のこなし方もさりげなく若々しい
年齢にとらわれない服装のコーディネートが素敵でした
旅行もお好きで海外、国内と楽しまれていました
きまって おみやげに
その土地でしか味わえないお菓子を届けてくれました
いつだったか
やえさんに 「私パアパアして見えるでしょう」と
言われ
はい と答えてしまった
それから
やえさんの笑顔から見えてきたのは
精いっぱいの前向きな姿勢でした
95歳と80代の認知症のお姉さまがいらっしゃいました
定期的に様子を見に通われている(電車で)ことを
知らされました
姉妹だからできるのよ と
姉妹でもできる方はそういらっしゃらない
と 私は思う
95歳のお姉さまは生涯独身を通され 自立心が強い
昨年 家で転倒され骨折されるまでは
杖を突きながらお買い物に行かれ 自炊されていました
電車でお出かけすることもありました
95歳のお姉さまが転倒され動けない状態で
辛うじて携帯に手が届き やえさんに連絡されました
その時のやえさんの絶妙な対応をお聞きして
感服いたしました
セコムに連絡して鍵を開けていただく
セコムから救急車に連絡していただき病院に搬送される
搬送された病院に駆けつけ入院手続きをする
やえさんはこの様な緊急事態を俊敏に切りぬけ
安堵されたご様子で伝えてくれました
やえさんが以前話されたことがあります
夜寝ている時
いろいろどうすればよいか考えてしまい明け方まで眠れない と
そのとき
私はやえさんに少し不安を感じました
95歳のお姉さまがその転倒で骨折されて自立生活ができない
このことは
どういうことかそのとき察することができたはず...
年が明けてしばらく経ってから
やえさんが 「今年もよろしく!」
と笑顔を見せてくれました
お姿お見かけしなかった と言ったら
バタバタしていた とだけ返ってきました
その直後1月15日から1か月休職しました(娘のため育休)
2月13日から仕事復帰
17日午後
小さなスーツケースを手にしているやえさんにお会いしました
ご旅行ですか と尋ねたら
首を横に振り 。。。。。。と
なにを言っているのかわからない
えっ と耳を傾けたら
。。。。。。と
声が出ているのですが
なにをいっているのかわかりませんでした
こんなこと初めてでした
今では悔いが残るのですが
その場はにこっとするだけで
会話はできませんでした
翌日 ご主人様から
いま 妻が心筋梗塞のため死んだ と
突然報告されました
昨日はかなり疲労されていらっしゃったのです
それでも 亡くなる直前まで
ご主人と朝食を共にされ 洗濯を済ませたあと
胸が痛い と歩いて近所の病院に行かれたご様子
最後まで完璧でした
ただ残念なのは救急車を呼ばなかったことです
偶然にも
やえさんが息耐える頃
Yさんが 1月28日に心筋梗塞で救急搬送され
一命を取り留めたことを 奥様が伝えてくれました
やえさんも救急車を呼んで大きな病院に搬送されていたら
と思うと
その場に居合わせなかったことが残念でした
私の休職期間中
やえさんは目まぐるしく忙しかった
95歳のお姉さまに食事を届けられ
2月11日
お姉さまが亡くなられたとのこと
やえさんが亡くなる1週間前です
やえさんは以前 寝ていて頭が汗かくの
そうおうと聞かれたことがあります
体質じゃないかしら
としか答えられていませんでした
それは夜考えすぎて冷汗かいていたのかもしれない と
言ってあげられていたら
少し気がついていただけたろうか
高齢者の方も一生懸命進化する世の中に必死についていってます
でも 年齢には叶わない
やえさんに 「ずっといてね」
と笑顔で何度か言われました
ありがたいお言葉です
優しくしていただいて気持ちよく仕事をさせていただきました
感謝しております
やえさん もうゆっくりされてくださいね