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#6 1987年『地球防衛少女イコちゃん』公開、シリーズ化推進

この年はなぜか大晦日から元旦にかけて名古屋CBCの『電話リクエスト』生番組に出演という仕事からはじまった。昭和歌謡も詳しいので、それで呼ばれたのかどうかよくわからないが、時々こういう変な仕事がくるものだが、ウェルカムである。

また、特殊造形の品田冬樹が結婚し、その結婚式用のお祝いとして、本物のウルトラ怪獣のきぐるみが登場するとんでもない8ミリを作って式で上映したりした。

そしてわたしはこの年より編集プロダクション『スタジオハード』の高橋信之社長のお勧めにより、ここの一角にデスクをかまえ、ここがわたしの会社・有限会社リバートップの事務所ということになった。ここで『イコちゃん』のスタッフにひきいれた早稲田大学の『怪獣同盟』の近藤豊(デザイン)・滝沢一穂(脚本)・坪井浩一(造形)・見里朝生(音楽)、早稲田の老舗蕎麦屋『三朝庵』の息子で漫画家の加藤礼次朗など、特撮オタクの仲間とともにバカ話をしながら仕事をするという、ある意味梁山泊の状態となった。

スタジオハードの人脈は早稲田の漫画研究会のOBが主で、当時雑誌『宝島』の編集部にいた現映画評論家の町山智浩、のちにわたしが主題歌の作詞をするゲームソフト『アイドル八犬伝』のクリエーター安藤君平などと知り合ったのもこのころだ。この数年前から町山氏と安藤氏は学生ながらライターをしていた。ケイブンシャの『怪獣もの知り大百科』という本はこの二人が作っており、『ウルトラセブン』のキリヤマ隊長のことを怪獣扱いにして、「ノンマルトを全滅させた恐ろしい存在」と書いていたりしていて爆笑で、こいつらとは話が合う、と思っていた。

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町山氏と言えば、当時は「バカの町山」とみうらじゅん氏や後の『タモリ倶楽部』などで有名な編集者の渡辺祐氏から呼ばれていて、わたしは「そんなことないだろう」と思ったが、まさに「こいつバカか」という出来事がおこった。

わたしはライターとして『宝島』にも書いていたが、『てなもんや三度笠』の白木みのるさんのインタビューを町山氏から頼まれた。ところが町山が、白木さんへの日時指定を間違えて、わたしに電話がかかってきた。「大変だよ河崎さん、インタビュー昨日だったんだよ! 白木さん怒って帰っちゃったって!」「バカか町山!」と心底思った。当然白木さんはお怒りだろうと、びくびくしながらに再設定されたインタビューをしたが、わたしが『てなもんや三度笠』の大ファンなので、終始ゴキゲンな記事となった。インタビュー後になにかが白木さんから送られてきて、なにかと開けてみれば、『スパイク・ジョーンズ』のネタをダビングしたカセットだった。スパイク・ジョーンズとは冗談音楽の大家で、クレイジーキャッツのネタの元祖と呼ばれたミュージシャンなのだ。わたしがインタビュー時に聞きたいなあ、と言ったのを覚えていてわざわざ送ってくれたのだ。いい人だ、白木さん! 結果オーライだったが、町山氏のバカさはこんな感じだったのだ。

とにかくハードの高橋社長の紹介で、様々な仕事が広がることとなった。双葉社から『イコちゃん』のゲームブックが出版されることになり、それは脚本の滝沢一穂が書いたが、『天空の魔王』というサブタイトルとなった。予算の制約がない小説は、世界観がふくらむのでたのしいものだ。

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角川書店の『コンプティーク』で連載がはじまったのもこの年。「アイドルMTV」という企画で、ただのアイドルインタビューでなく、いきなりMTVを撮ってしまおうという斬新な、名編集者の穂原俊二さんの裁量があってこそのものだった。まだ谷本重美という名前だった小川範子が第一回目だ。これに登場した水谷麻里をわたしが江口寿史先生に紹介したおかげで、二人はのちに結婚してしまった。わたしがキューピッドというわけだ。『コンプティーク』はパソコン誌だが、パソコン関係の記事以外はなにやってもいというノリで、ほんとうにやりたい放題だった。

ジャガーさんと知り合ったのもコンプティークの取材でだ。ジャガーさんは千葉テレビ『ハロージャガー』という番組に出ていたが、謎の存在だった。とにかく変な番組で、それはジャガーさんが歌を歌うために番組枠を買い取っているということだった。本業は洋服の直し屋とライブハウスなどの経営だ。ロッカーって矢沢永吉のように「成り上がり」で、貧乏から這い上がって成功してからテレビに出たりするが、ジャガーさんは「上がり成り」。歌以外の仕事で成功して、そのお金で番組を買い取るというのはなかなか豪快な発想だった。どんな人なのか、おっかなびっくりで市川のお店にお邪魔すると、大変にソフトないい人だった。

そしてジャガーさんを使って、怪獣と戦うというPV『ジャガーファイト』を製作した。
ジャガーさんの名曲「だまってジャガーについてこい」に合わせて、『イコちゃん』に登場したペンタザウルスとジャガーさんが千葉の海岸で戦うというシュールなものだった。ジャガーさんには『地球防衛少女イコちゃん2』と、続編『地球防衛少女イコちゃん大江戸大作戦』に出演していただき、最近の『シャノワールの復讐』まで長いおつきあいとなる。

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2月28日に『イコちゃん』は発売され、池袋の西武百貨店磯崎亜紀子のサイン会も行われ大盛況。世界を作るあまりの楽しさに、これは絶対シリーズ化しようと考えた。
『イコちゃん』の続編企画は、バンダイにプレゼンしたが、そんな大ヒットしたわけないのに、パート2なんか普通できるわけない。しかし推すわたしに根負けしたバンダイのUプロデューサーは、「マンガになるならやろう」と言った。その言葉通りなんと、わたしが連載をもつ『コンプティーク』が月刊マンガ誌『コミックコンプティーク』(のちに『コミックコンプ』)を88年に創刊することになり、『イコちゃん』はその連載作品として、あさりよしとおが描くとうことに決定したのだった。これではUプロデューサーも文句なく、やるしかない。この時はすべてがいい方向に向かったが、「やろう」という情熱がないと進まないというわけだ。『地球防衛少女イコちゃん2』は、バンダイ角川メディア・オフィスの出資で翌年に製作が決定するのである。

この時バンダイは大作アニメ『王立宇宙軍オネアミスの翼』に億という資金を出資。製作は、アマチュア8ミリの『DAICONFILM』を作った岡田斗司夫・武田康廣といった超オタクメンバーが作った会社『ガイナックス』がうけおった。こちらは数億、『イコちゃん』は数百万の製作費である。しかし同じ会社が出資しているというところに、バンダイの懐は広いなどといわれたものだ。同じバンダイということで、この『王立宇宙軍』のドキュメントファイルとして、メイキングのビデオの演出などもした。岡田斗司夫氏たちが製作している様に、
『マグマ大使』の声の金内吉男さんのすばらしいナレーションを入れたりして、感激したものだ。

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川勝正幸さんのお誘いで、日本テレビで放送された『ニッポンTV大学』にゲストで出た。それはサザンオールスターズの関口和之さんの『左様ですか』というコーナーで、『イキナリ若大将』や『地球防衛少女イコちゃん』を無責任男の態で紹介し、関口さんが困惑するという演出だった。この番組はいとうせいこうえのきどいちろう氏などの才能も参加していて、さながらこのころのサブカル人勢ぞろいの趣の番組だった。

夏には集英社の『ヤングジャンプ』『ビジネスジャンプ』が主催の『ザ・レトログラフティ』というイベントに「レトロムービー評論家」として出演。このイベントは協賛が武田薬品、VANジャケットというメジャーなもので、まさにバブル時代の象徴のようなイベントだった。わたしと映画評論家の襟川クロさんのメンコがなぜかグッズとして作られ困惑したものだ。そしていよいよ、『地球防衛少女イコちゃん2 ルンナの秘密』の製作に入ることとなる。


1988年  『地球防衛少女イコちゃん2』製作

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