うろおぼえ満洲国 6日目(2018年5月29日)ハルビン市
某重大事件
この日私は朝から重大事件に見舞われていた。
腹を壊したのである。
幸いにして吐き気はないが下痢が止まらない。食べ物に当たったのかはわからないが、なんとなく昨日食べたぶよぶよしたアレが頭をよぎる。食べなければよかった。
もしかすると水に当たったのかもしれない。よく海外では水道水を飲んではいけないと言われる。衛生的に飲むべきではないという面もあるが、それよりも水の硬度が高すぎて飲むべきでない場合がある。日本の水は基本的に軟水であるので、水道水を飲んだところで特に問題はない。たまに水道水がまずいと言われる地域があるが、水質よりも硬度の問題だったりもする。
特に中国の水道水は基本的にかなりの硬水で、やかんで沸騰させると内側にミネラルの結晶が付着する地域もあるほどだ。
もちろん筆者は水道水を飲んではいないが、料理に使われている水道水はどうしようもない。これまでの中国滞在でついに硬水に耐えられなくなった可能性がある。
とはいえ、せっかくの旅行先で寝ているわけにもいかないので、飲まず食わずでホテルを出発する。飲むと出ちゃうからね。
満洲国をさがして⑤
侵華日軍731部隊罪証陳列館
ハルビンと言えばここは外せない。関東軍防疫給水部、731部隊として知られる関東軍部隊の本部跡地にある博物館だ。罪証陳列とはなかなかパワフルな字面である。
731部隊は正式名称の通り、戦地での感染症予防や浄水の補給などに関する研究を主としていた。その一方で、生物兵器の研究開発を行っていたとされ、人体実験も行っていたとされるがその真偽については議論が絶えない。終戦後に731部隊の関係者は実験の"成果"と引き換えに、アメリカからの戦犯指定を免れたとも言われており、何らかの"成果"があったのは事実かもしれない。
ここで筆者はとあるおじさんに出会う。
私が遺構を眺めていると、いきなり中国人のおじさんが話しかけてきた。私が中国語を話せないことを察すると、なんと日本語で話し始め、仕事で日本には何度も行っていると語り始めた。
筆者の偏見からすると、海外においていきなり日本語で話しかけてくる人間は9割以上の確率で犯罪者である。犯罪者とまでは言えなくとも、ぼったくりとかその類の者である。
私は大変警戒して適当にあしらおうとしたが、おじさんはずっと付いてくる。そもそも私は腹を壊していて体調が悪い。放っておいてくれ。
しまいには撮ってやるからカメラを貸せと言い出した。ははーんさてはカメラ強盗だな。ダッシュで追いかける準備をしながらカメラを渡してみる。普通に撮ってくれた。ピースしろとうるさいのでピースする。いやここで日本人がピースはまずくないか?
結論を言うとこのおじさんはただの親切なおじさんで、1割側の人間だった。どうやら自主的にガイドのようなことをしたいおじさんのようで、途中で出会ったタイ人のカップルも捕まえて一緒に施設を巡った。タイ人のカップルは完全に有難迷惑といった感じで、いつの間にか消えていた。
おじさんの日本語は片言でなんとか理解できるレベルであったが、時おり何を言っているのかわからない。それでも語彙を増やしたいのかとにかく会話しようとしてくる。
おじさん「タイは日本語でなんて言う?」
私「え?タイは……タイ」
おじさん「そんなわけない!!」
私「えーと…タイ国…タイ王国」
おじさん「嘘だ!!!」
タイについてここまで追及されたのは初めてだったが、タイを言い換えることはできない。タイはタイなのだから。
しかしこのおじさんも弁えているようで、他の現地住民がいる場所では決して日本語を喋らなかったし、私にも喋るなと厳命した。土地柄、対日感情があまり良くない住民がいる可能性があるので予防的措置としては正しい。
この後、ずっとこのおじさんにガイドしてもらうことになる。
おじさんは現地民であることを生かし、明らかに入って良くなさそうなところもずけずけ入っていく。旧航空指揮所の内部にも入った。特に何かが置いてあるわけでもなくがらんとしていた。
おじさんと歩いていると、私が食事をせず飲み物も飲まないことを「すごい!すごい!」と言ってくる。何もすごくはない。腹を壊しているだけである。面倒なので説明はしなかったが。
近辺には731部隊の宿舎とされる建物も残っており、今でもアパートのようにして利用されていた。ここにもおじさんは入っていく。人の家だぞ。
廊下を歩いていると、ドアを開けっぱなしにして玄関で涼んでいるおばあさんがこちらを不思議そうに見てくる。当然である。おじさんは何食わぬ顔で廊下を歩いていく。このままでは部屋まで入りそうな勢いである。
ハルビン市内に帰ろうとした時、おじさんはどうやってここまで来たのかと尋ねてくる。私はタクシーでここまで来たのだが、それを伝えるとしきりに「タクシー高いよ!タクシー高いよ!」と連呼する。
確かにバスよりは高いかもしれないが、せいぜい日本円で2千円程度なので体調の悪い私は座っているだけで着くタクシーを選択した。そんなに非難されるようなことだとは思わなかった。
そこでおじさんはバスの乗り方を教えてくれた。
しきりに「のるとき1元!おりるとき1元!」と連呼する。市内のバスは定額で1元なのだが、市外から乗った場合は追加でもう1元支払う必要がある。おじさんはそれを伝えたかったのである。
あまりにも連呼するので、その度に理解したと返事をしたつもりだった。しかし伝わらなかったのか、バス停まで送ってくれた上に私がバスに乗るまで「のるとき1元!おりるとき1元!」とおじさんは叫び続けた。ありがとうおじさん。
おじさんのおかげで、帰りはわずか2元で帰ることに成功した。おじさんの勢いと体調の悪さで頭が回らなかったが、今思えばおじさんの連絡先でも聞いておけばよかったものである。
満洲最後の夜
腹を壊していたが、さすがに丸一日飲まず食わずでは辛いので、デパ地下で果物とヨーグルトを買った。腹を壊したときはヨーグルトで大抵治る。
予定していた食事が食べられなかったことは残念であったがやむを得ない。果物とヨーグルトを食べても腹は下さず、体調も回復してきた。
お土産にロシアグッズなどを買いつつ街を歩く。中国国内の観光客でもロシア気分を味わいたい人は多く、マトリョーシカなど充実している。ロシアで作ったのかは分からないが、どうせロシアで買っても中国製だろう。
満洲最後の夜は更けていく。