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小林賢太郎の件から考えた別のこと
愉快な記事ではなく、ちょっと言葉がキツイかもしれません。
最初に謝っておきます。
すみません。
(我ながらしつこいわ)
ラーメンズがホロコーストを扱った問題について私が結論づけたことを他の記事では省略したことも含めて書く。
そして、別の問題へ。
再度、ホロコーストを軽く扱ってはいけない理由
例のコントは文脈上問題がないように見える。しかし、それは遠い国から見た場合であって、同じ国に住む近い関係にある者同士での出来事と見ると様相が変わってくる。
つまり、差別/被差別の関係はあったにせよ、仮にも同じ国民の片方がもう片方に対して、圧倒的な暴虐行為を行なったという事実。
戦後になってアウシュビッツでのおこないが明らかになっても、大半の善良なドイツ人は自分たちの仲間がそのような蛮行に及んだことを最初は信じられなかったという。
「さすがにそんなひどいことはしないだろう」と。
ところが、それが事実であることが明らかになって彼らはすごくショックを受けて、深い悔恨を抱くことになる。
ということを踏まえると、たとえ文脈上は問題がないように見えても、ホロコーストを軽く扱うことはとても容認できないとわかるだろう。
傷つけられたユダヤ人はもちろん、傷つけた側にとっても看過できない。
さらに、ユダヤ人に対する差別意識が根底にあることから、ドイツ人以外のヨーロッパ人にとってもまったく他人事にはならない。
本質的な問題は、大量虐殺にプラスして身内によって行なわれた残虐行為だと理解した方が良さそうだ。
広島・長崎への〈原爆投下〉と単純に置き換えて考えることはできない。
ホロコーストを肯定的に扱ってはいけない理由、文脈上否定的であっても軽く扱ってはいけない理由は、これである程度説明ができる。
※
この件については、例のコントはNGとの結論が得られて一件落着なのではあるが、実は別の件があるのではないかと私は考えた。
それは〈言葉狩り〉だ。
ここからロジックが飛躍する。
〈言葉狩り〉の問題
コントの全編を見て、私は最初赦されるレベルと思った。
別記事の繰り返しになるが、その理由はコントの文脈はホロコーストを否定的に扱っていたからだ。
しかし、それに対して「どうあっても赦されない」とする側のほとんどは理由を示さず、
「ダメなものはダメ」
「国際的な常識」
という到底納得のいくものではなかったように見えた。
(私が見つけられなかっただけできちんと言及した人もいたかもしれないけど)
単に
「『ユダヤ人大量惨殺』という言葉を扱うこと自体がいけない」
と主張しているように私には読めた。
文脈を読まずに、言葉のタブーに脊髄反射的に反応しているような違和感を持った。
この違和感を解決する前、そもそも私が理解しきれていない何かがあるだろうと仮定し点検してたどり着いたのが上にあげた「同国民による蛮行」だ。
その結果として、私はOKとしたものをNGに考えを改めたわけだ。
ただ同じNGの結果だとしても、根拠や理解の内容によっては盲目的な〈言葉狩り〉に陥ってしまうのではなかろうか。
上にあげた「ダメなものはダメ」「国際的な常識」というのは無理解や思考停止の最たるもので、無理解・思考停止による指摘は〈言葉狩り〉にかなり近いと感じた。
これが私が抱いた大きな懸念であり問題だった。
しかも、今回の件は「オリンピック開催反対」という別の話が乗っかってしまって、
「なんだか嫌な感じだなぁ」
と私は思ったのだった。
書物が好きな人間のひとりとして、私は表現の自由を支持するし、表現の自由を封殺する〈言葉狩り〉や〈言葉狩り〉につながるような思考停止を嫌悪する。
嫌悪するものの、各個人が思考停止することを止めやしない。「バカだな」と思うだけだ。
少なくも私は、物事を否定するにしても〈言葉狩り〉にならないように自分が納得でき他人に説明できる程度にはどんなことも考え続けていきたいと思っている。
※※
ひとりで勝手にエキサイトして勝手に爆発しているような気がしてきたけど、この件はこれでおしまいです。
以降の記事では通常運転に戻ります。
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