2022年11月6日/読了2冊/雑多
読了2冊
この日は2冊の本を読み終わりました。
高橋源一郎『失われたTOKIOを求めて』
東京の地誌が好きで高橋源一郎も好きで、とりあえず買っておいた本。
好き好き言いながら、ずっと放置していました。
書名はプルースト『失われた時を求めて』を意識したのでしょうね。
かの本を読んだことなくどの程度意識したのかはわかりませんが。
いささかノスタルジーが強く、若い頃の私が読んだらどう思うか。
新国立競技場の章は、新国立競技場を臨みながら1964年の東京オリンピックとその20年前の同地での学徒出陣式に想いを馳せるのがよかった。
学徒が退場するときに観覧席にいた女学生たちの半分が雪崩を打って学生たちの姿を追う映像、胸が打たれます。見てみたいです。
ノスタルジーの体感はある程度歳をとって過去数十年の時間感覚を持っていないと不可能ではないか、というのが前半の意図です。
一個の人間としてある程度確立する14、15歳あたりからが実感を伴う時間感覚ではないかと私は思っています。
つまり、20歳の人はせいぜい5年くらいの時間感覚、60歳であれば45年の時間感覚を持っている。過去への想像力という意味では年齢を重ねるほど厚みを持ってきます。
そういうことが言いたかった。もちろん、人によって異なりますが。
大人になればわかるのか?
以下はそのノスタルジー論を踏まえての発言。
簡単に言うと「大人になればわかる」は大人にならないとわからないという当たり前のこと。
もちろんこれは冗談。
早熟の天才だったことはありません。
柞刈湯葉『人間たちの話』
柞刈湯葉『人間たちの話』を読みながら「うるかす」という言葉に反応。
知らない言葉だなと思いました。正確に引用します。
お米を炊くときに水に何分か浸すことをしますが、そのことを意味するだろうなと想像はできます。調べたところ、北海道や東北の方言で「水に浸す」ことを意味するらしいです。「食器をうるかす」という表現もありました。
そいでもって読み終わり。
『まず牛を球とします。』を読書会で取り上げたときに『人間たちの話』が出てきたので読んでみました。表題作を含めた6作が収められた短編集です。
最初の「冬の時代」のモノの名前の付け方が椎名誠のSFっぽいな、と思ったら作者による解説で椎名SFの影響があると書いてありました。こういうの当たると嬉しいですね。
「冬の時代」もそうでしたが、表題作「人間たちの話」もカタルシスがあったり問題解決する作品ではなく、SF的ガジェットで一場面を描写するのが目的のように思われました。そこが「純文ぽい」という点です。これについては作者解説では言及なし。
ただSF的風景を書きたいという意図はわかります。
雑多
このままです。朝からお疲れさま。
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