
「炭鉱のカナリア」の炭鉱夫としての読者
芸術家の機能を表す言葉のひとつに「炭鉱のカナリア」があります。確か作家のカート・ヴォネガットが言っていたはずです。違ってたらごめん。
ヴォネガットは「ノーベル文学賞に近いSF作家」と言われていました。
代表作は『スローターハウス5』かな。『タイタンの妖女』かな。私が題名として好きなのは『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』。キルゴア・トラウト!
フィリップ・K・デイックの『流れよ我が涙、と警官は言った』と並んで好きなタイトルです。
※
文字数稼ぎは置いといて「炭鉱のカナリア」。
昔、炭鉱夫たちが毒ガスの検知装置として籠に入れたカナリアを連れて行ったとか。毒ガスを察知すると繊細なカナリアが暴れ出します。それを見て炭鉱夫たちは退避する。哀れ、カナリアは死んでしまう。
社会に忍び寄る危険の予兆を無意識下に察知して、作品の形で警鐘を鳴らす芸術家の一機能をヴォネガットは「炭鉱のカナリア」になぞらえました。それが作家(芸術家)の役目だと。
確かに作家にそういう側面はあるのでしょう。
それでは、カナリアが鳴らした警鐘を受け取るのは誰か。炭鉱夫です。炭鉱夫に該当するのは、読者です。ですが、普通読者は炭鉱夫の役割を考えていません。それも当たり前で、作家ですら自分の書いている作品の同時代に置ける位置付けなんか意識していないでしょう。作家じゃないんで私の想像であり意見ですが。
大体は事態が進行して顕在化することで、事後的に了承されます(はずです)。
※※
私は読者は炭鉱夫の役割を全うすべきと考えているわけではありません。
作家の無意識のメッセージを受け取れるように読みましょうと主張したいわけではありません。だってそれは無理でしょ。作家すらわかっていないことを理解するなんてどんだけムリゲーか。
読んでるときや読み終わった後に、自分が持っている漠然とした社会に対する不安を作品と付き合わせてみるという読み方を試してみては?という控えめな提案です。その前に自分に課してみるべきですね。
ああ、前の記事のアンサーにもなりそうだ。
いいなと思ったら応援しよう!
