きたない読書
まるで食い散らかしたみたいに「読書がきたない」。
そのことに、ずっと前から気づいていた。
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私の読書は並行して5、6冊読む。
もちろん、5、6冊を並べて同時に読むわけではない。
・家では A という本
・電車で移動中は B
・寝る前は C
・家での隙間時間は D
・トイレでは E
という感じでシーン毎に分けている。それも厳密ではない。同じ電車での移動でも、B を読んで、しばらくすると E、みたいにシーンの中でも細かく分かれる。
要は飽きっぽい。
さらに、新しく本を買うと、その本が追加される。
A〜E までの本を並行して読んでいる時に、F という本を買ったら、買った帰りには F を読み始める。いわゆる、LIFO(Last In First Out)。
書店で買う本が1冊ならまだいい。
F、G、H と3冊買ったとすると、F を帰りに読み始めて、帰宅後、G と H を取り出したときに G と H も読む。
(AとかBとか、読みにくいこと甚だしく申し訳ない)
このようにして仕掛かり中の本が8冊発生するというわけだ。
8冊を仕掛かっている間にも本の購入は止まらない。追加購入に押し出される形で、先の8冊から放置されるものが出てくる。
無限地獄か?
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このように基本は複数の本が同時進行している。一回に読むページは多くて10ページ程度なもんだから、読書の進捗は概ねよろしくない。
ただ、同時進行本が一気に解消されることもある。
たまに興に乗ると、1冊にがっつり集中することもある。その時は、だいたい次から次へと他の読みかけも進んで、あっという間に7、8冊が読了となるのだった。
単に気まぐれが過ぎた、行き当たりばったりなのかもしれない。
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私を知っている人には「内容がごっちゃにならないか?」と聞かれる。
これは答えるまでもなく、読まない人の蒙昧に過ぎない。
一冊一冊の本は独立しているので、ごっちゃになって混乱することはない。
ただ矛盾するようだが、互いの本の関連付けは起こる。
これが “きたない読書“ のメリットなのだ。
A や B を読んだ後に C を読むと、A やB の内容が、緩やかに C に関連づけられるという事象が起こる。C の理解の仕方が多面的で深くなる。私の無意識の奥底に働きかけて、固定観念が突き崩されるような感じがするのだ。
もっとも、これは一種の錯覚かもしれないとも考えている。
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たとえ同じ場所で同じ時間に同じ本を読んでも、読書“体験” というのは極めてプライベートなため、なかなか他人と共有するのは難しい。