【禍話リライト】 見えない顔

 わたしたちは目で世界を見ているのではない、脳で見ているのだ──とはよく言及されることですね。視界とはつまり、網膜を通過した信号が大脳で処理された結果にすぎないと。錯視を利用した図を見せられて狐につままれたような感覚に陥ったことがある方もいらっしゃるでしょう。

 のっぺらぼうを見た、いや、見てしまったという、とある男性が小学生の頃に体験した話です。

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 Kくんが放課後、夕暮れ時の通学路を一人で帰っていると、道の脇に見慣れない車が停まっていたそうです。エンジンも切ってある。

 Kくんがいた地域というのは有り体に言えば田舎で。車種を見ればどこそこの誰々さんが乗ってる車だとすぐに見当がついたそうです。でも、その日そこに停まっていた車は見覚えない車だったそうで。

 不審車、とまでは言いませんけれど初めて見る車が気になって。乗っている人の顔を確認しようと運転席をさり気なく見てみたんですって。でもよく見えなかったそうですね。というのも、運転手は寝ているのか座席を大きく斜めに傾けていたそうなんですよ。遠目にはよく見えない。それで、近づいて中を覗き込んでみたそうなんですけれど。

 中で背もたれに身を預けている人の顔、全然見えなかったんですって。

 他の部分は見えるんです。ワイシャツを着たサラリーマン風の男が運転席を斜めにし、ぐったりとしている。それははっきりと見えている。

 なのに、顔が見えない。光の加減の問題か何かかと、車の周囲をぐるりとしても全然様子がわからない。のっぺらぼうが中にいる。

 おかしいなあ……と思いつつ、あんまりジロジロ車の中を覗いているのも失礼だと気がついて、家に帰ったそうです。それで晩御飯前に居間でテレビをぼんやり見ていると、高校生になるお姉さんが興奮した様子で帰ってきたんですね。

「ちょっとちょっと! 大変だった! もうすごくてさあ……!」

 どうしたの、とお母さんと一緒にKくんも話を聞いたそうです。

「それがね。人が死んでたのよ。車の中で自殺してたの。わたし、うっかり死んでる人の顔見ちゃってさあ……あれ相当苦しんで……お母さん、ごめんだけれど、しばらくお肉はいらないかも」

 話しているうちにまた思い出したんでしょうね。お姉さんの顔、青ざめちゃって。お母さんが「大丈夫?」と背中をさすってあげている。一方、Kくんも帰り道に見たのっぺらぼうがその男だと思い当たって、少しいやな気持ちになったそうです。

 夜の地方ニュースでもその自殺事件を取り上げていましてね。どうやら車中で睡眠薬を大量に摂取して男は自殺したらしい。時間的にKくんが通りかかった頃にちょうど絶命した感じで。

 お父さんが帰ってきて一家揃っての夕食となった時に、その車ぼくも見たけど顔は見えなかったなあ、と思い切って言ってみたそうです。

「顔が見えなかったの?」

「うん。だからお姉ちゃんほど嫌な気持ちじゃないっていうか……でもどうしてのっぺらぼうに見えたんだろう」

「あれじゃない? あまりにもショッキングな物を見ると『やばい』って脳が自己防衛して、ショックを和らげようと勝手に修正してくれるっていうし。あんたの脳が働いてくれたおかげで、のっぺらぼうに見えたんじゃないの」

 お姉さんの言葉に家族一同納得しましてね。お父さんもウンウン頷いて。

「ああ、なるほどなあ。そういうこともあるかもなあ」

「へえ……そっか、脳ってそういう働きするんだ。あれっ、じゃあ姉ちゃんがその人の顔を見ちゃったのは脳が働いてないから……?」

「あんたねえ!」

 お姉さんには悪いけれど自分は死んだ男の顔を見なくて本当に良かった、とKくんは心底思っていたのだそうです。

 さてその夜。

 喉の渇きで不意に目が覚めたKくんは二階の子供部屋から一階へ向かったんですね。眠たい目をこすりながら階段を下りきって、居間に入って。

 するとそこで、居間の食卓のいつもお父さんが座る席に誰かが座っている気配がしたんですって。こちらに背中を向けて、人が静かに座っている。

「あれ……? お父さ」

 言いかけて、Kくんは言葉を飲み込んだんです。暗闇に慣れてきた目に映ったその人物、白いワイシャツを着ていたんですよ。パジャマを着たお父さんと「おやすみ」と挨拶をしたことをKくんは覚えてる。更にその人物、背もたれに身を預けるようにして、ぐったりしていたんですって。

 あ、お父さんじゃない。この人、車の中にいた──

 Kくんがそう察した瞬間、椅子に座っていた人物がぐるっと振り向いてきたそうです。その顔がまた、のっぺらぼう。

 そいつはずるりと椅子の上から床に鈍い音を立て倒れ落ちると、まるで芋虫のようにモゾモゾと這い、Kくんの方へやって来ようとしたんですって。

「わあーっ!」

 Kくんが泣き喚いて大騒ぎしていると両親もお姉さんもばたばたと起きてきて。

「どうしたの!?」

「大丈夫か、何があった!」

「なになになに!?」

 しかし明かりのついた居間には誰もおらず、食卓に誰かが座っていた形跡もなかったそうです。


「──どうして家まで来たのか、わからないんだけど……ひょっとしたら、俺がちゃんと顔を見なかったことに腹を立てて、死に顔をおれに見せるために来たんじゃないかなって、そう思うんだよ。そうだとしても、また、俺の脳がのっぺらぼうに見せたわけで。結局何にもならなかったんだけどさ」

 Kくんはそう言って話し終えました。たしかにKくんの認識としてはその顔は見ていないことになります。けれども、脳までその信号が達したことは間違いありませんから。いつの日か、思いも寄らないタイミングで、未処理のまま記憶の底へ仕舞っていた顔が、不意にこちらを覗いてくる……そんなことが起こるかも、わかりませんよね。




この記事は禍話で語られた怪談を元に作成されました。
文章化に際して元の怪談に脚色をしております。何卒ご容赦ください。

出典: 燈魂百物語第五夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/348328666
収録: 2017/02/17
時間: 01:20:15 - 01:25:55

記事タイトルは 禍話 簡易まとめWiki ( https://wikiwiki.jp/magabanasi/ ) より拝借しました。