【禍話リライト】 よじのぼるな

 特定の地域だけにあるような、他所ではあまり見ないルールや取り決めごとってありますよね。その地域内に住んでいると当たり前すぎて疑問にも思わないけれど、圏外の人からするとつい首を傾げたくなるようなことが。

 そんなことを仲間内で話していると、とある一人の男性が同調してくれましてね。

「あった、あった。俺、それで怖い目にあったんだよ」

 と、一つ、不思議な話をしてくれたんです。

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 その方は小学校三年生の時に問題の地区に引っ越してきたのだそうです。それから長くそこに住んでいたそうなんですけど、幼心に変だなあ……と思うようなことがその地域に一つだけあったと。

 別に奇祭とかまじない、カルト地味たことではないんですけどね。その地区の掲示板。ゴミ捨ての曜日や催し物、啓発運動の貼り出しの中に混じって、『ベランダによじ登ってはいけません』と書いてあるポスターが貼ってあったそうなんです。小学生くらいの子どもがベランダを跨いで内から外へ行こうとしているイラストつきで。構図としてはちょうど、家の中に侵入した泥棒が逃げようとしている感じ、といえば伝わるでしょうか。

 ただ、普通はそんなことわざわざ注意しませんよね。それを言い出したら全部に言わないといけなくなっちゃう。「階段で遊ぶと転げ落ちる」とか「赤信号を渡ったら車に撥ねられる」とか。彼も不思議に思いつつ、この地域限定で子供たちの間に危ない遊びが流行ったのかな、程度に考えていたらしいです。

 さて、時間は飛んでその方が中学生になった折のこと。彼、同じクラスの近所の女の子の家にたびたび行く機会ができたんです。

 その女の子というのが可愛い子で。一見そうは見えないけれどヘビメタが好きだったらしいんですよ。昭和の時代に女子中学生がヘビィメタル。なんだかギャップのある組み合わせじゃないですか? まあそれはいいとして。

 その彼女の家に彼が赴くようになった理由というのはですね、別に淡い初恋とかそういう甘酸っぱいものではなくて。彼女、体がそれほど強い人ではないのか、二ヶ月に一度は必ず風邪を引いたりして体調を崩し学校を休んだのだそうです。それで近くに住むクラスメイトの彼が、給食に出たパンとかゼリーとか配られたプリントとかを持って行ってあげていたと。

 彼の家は坂の上の方にあって、そこから坂下の方、老夫婦の家を一軒挟んだ所に彼女の家があったそうで。要するにただの近所のクラスメイト。それだけの関係だったんです。

 彼がその家のチャイムを鳴らすと、二階からごほごほと咳をしながら彼女が階段を降りてくる気配がして。両親が共働きだったんですね。それでパジャマ姿にマスクをつけた彼女が玄関先に現れる。お見舞いの言葉と共に彼が持ってきたものを渡すと、彼女はお礼を言って引っ込む。ただそれだけ。

 彼に言わせるとね、彼女の体調が崩れやすいのはいつも夜遅くまで勉強しているからだと思っていた、と。そう言うんですね。

 どういうことかというと。

 彼が夜中にトイレに行った時のこと。彼の家のトイレは換気扇なんてものはついていなかったそうで、トイレに入るときは窓を開けて網戸にしてから、用を足していたそうなんですね。特に深夜の一時二時なんてご近所さんに気兼ねする必要もないから全開で。

 それでふと外の坂を見下ろしますと、一軒挟んだ向こう側の彼女の家の二階の角部屋、その部屋に明かりが煌々と灯っていたのだそうで。カーテンも全開なので、部屋の中が丸見え。それで、女の子が机に向かって熱心に勉強している姿が見えた、と。彼女のそういう姿を、彼は夜中のトイレから何度も目撃していたんです。

 あいつすげーな。こんな時間になっても勉強しているなんて。難関高校を受験するつもりなのかな? でもだから、体調を崩しやすいんじゃないの。

 そんな感心とも呆れともとれない感情を抱いていたある日、学校で彼女と話すタイミングがあったのでそのことを彼女に言ってみたのだそうです。

「いつも遅くまで勉強しててえらいけどさあ、あんま無茶するなよ」

「え? 勉強とかしてないけど」

 きょとんとして彼女はそう答えたんですって。宿題とかはもちろんするけれど、あとは大体ヘビメタとか聞いてる、とそう言うんですね。

「いやいや、いつも二階の角部屋で勉強しているじゃん。明かりもついてるし、見えてるよ」

「二階の角部屋……? ああ、あそこ。ははは」

 急に彼女は思い出し笑いをするようにくくくっと笑いまして。

「あそこさあ、お父さんが書斎にするつもりで、立派な本棚とか、なんかの分厚い専門書とか置いてあるんだけど。全然読んでないの。置いてあるだけの棚の肥やし。誰もそこの本なんて読まないし、お父さんも全然その部屋使わないから埃も積もっちゃってさ。お父さんはそれでも書斎だって言い張ってるんだけど、お母さんに言わせると倉庫でしょって。ははは」

「え、じゃあいつもどこで寝てるの。俺が給食のデザートとか持っていった時、いつも二階から降りてくるみたいだけど」

「ああー、それね。わたしの部屋、一階にあるんだよね。でもおばあちゃんも一緒に住んでるから。それで、風邪を引いたときなんかはおばあちゃんにうつさないように、二階の衣装部屋に布団を敷いておとなしく寝てるの」

 それっきりで話題は他のものに移ってしまって。他のクラスメイトも交えて談笑しているんですけど、体験者の彼からしたら驚いて何も言えない。「寝ぼけて見間違えたか幻覚でも見たんじゃない?」などと軽くからかわれても「おお……うん……」と返すのが精一杯。不思議でしょうがない。

 幻覚じゃないよなあ……? 俺が今まで見ていた女の子は誰なんだろう。

 モヤモヤとした思いを抱えて過ごし、それから数日後のある日。

 彼、また夜中にトイレに起きて。目をこすりつつトイレのドアを開けたところで、あっ、と思い出しまして。

 うわーっ、そういえば勉強していないはずのあの子が見えるんだった。窓、どうしようかな……

 まあでも、開けてみるかと思って。一思いにガラッと開けたんですって。すると幸いに、というか、いつも電気が点いて煌々としていた例の部屋は真っ暗だったんです。

 なんだ。よかった。やっぱり俺が寝ぼけて見た幻覚だったのかなあ。

 そう思った次の瞬間。彼の家と彼女の家に挟まれている老夫婦の家の一室、そこがパッと明るくなったんです。位置的に、二階の角部屋が。

 しかもただ明かりが点いただけではなくて、そこで女の子が勉強をしているみたいに机に向かっていたんですって。でもその家の老夫婦、孫を預かっているとかそういうの、なかったはずなんだそうです。それに老夫婦は普段一階で寝起きしているから、真夜中、二階にいるわけがないと。

 え、絶対おかしいぞ。なんだこれ。……というか、あれ誰?

 家が一軒分近づいたおかげでよく見えたそうなんですけどね。机に向かって勉強しているように見える女の子、彼の同級生の女の子とはまったくの別人なんです。誰だか知らない女の子。照明の関係かわからないけれど、顔が真っ白に見える。

 彼が唖然としてその子を見てますと、急にその子が分厚い、辞書のような書籍をパーンと閉じまして。どうしたんだろうと思っていると、机から顔を上げて、トイレにいる彼をじっと見つめてきたんですって。まるでずっと以前から、彼がトイレから見ていることを知っていたみたいに、迷うことなく真っ直ぐ彼を見つめてきた。

 うわっ、こっち見た!

 するとその女の子、先程勢いよく閉じた辞書をポーンと部屋の隅に放り投げたかと思うと、ベランダに通じる窓をがらがらと開けて、よいしょ、と身を乗り出したんですって。

 よじのぼるな!

 「危ない」とか「落ちる」とか、そんな考えは微塵も思い浮かばなくて。その時彼はただひたすら、「このままじゃこっちに来る、来ないでくれ!」と、そう思ったそうです。

 もう慌ててね。どうしようもないから、一階の両親の寝室に駆け込んで、一緒に眠ったそうなんですよ。もしあの子がうちに来たら両親になんとかしてもらおうと思って。何も知らない両親は息子がやって来たことに驚きつつも、親子三人川の字で寝るのも久しぶりだから喜んだりしてね。それで彼は気がついたら寝ていて、何事もなく朝がやってきた。

 そしてその日以降、夜中に勉強する女の子の姿は見えなくなったそうで。夜中にトイレへ行って窓を開けても真っ暗闇の隣近所があるばかりだった、ということです。




この記事は禍話で語られた怪談を元に作成されました。
文章化に際して元の怪談に脚色をしております。何卒ご容赦ください。

出典: 燈魂百物語 第三夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/342615224
収録: 2017/01/28
時間: 00:10:00 - 00:17:05

記事タイトルは 禍話 簡易まとめWiki ( https://wikiwiki.jp/magabanasi/ ) より拝借しました。