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北上市へ(3)日本現代詩歌文学館・山口青邨宅「雑草園」
前日の汗だくみちのく民俗村から一転、この日は朝から冷たい雨。雨雲が去る昼頃を待ってホテルを出る。この日の目的地は市内にある日本現代詩歌文学館。その昔、妻の実家がすぐ近くにあって訪れたことはあるのだが、1994年にここに移築復元された俳人の山口青邨宅はまだ拝覧したことがない。
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雨上がりを待っていたように何人かの人たちがよく手入れのされた敷地を歩いている。青空とはいかないが、こういう時の空気はかえってすがすがしい。ぐるっとひと一回りすると起伏のある紅葉の陰に木造の家屋が見えてきた。これがかの山口青邨宅かな?裏木戸をくぐって中に入ることもできるがそこはまず玄関から。
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表に回るとこの建物のあらましが案内板に記されている。山口青邨は1931年に杉並のこの家に移り住み生涯を過ごしたという。自ら「雑草園」と呼び、四季折々の草花であふれた庭は、落葉を掃くこともせずにその趣を楽しんだらしい。没後ここの文学館に所蔵図書・遺愛品が寄贈されのちの移築復元に至ったとある。
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実は恥ずかしながら山口青邨という人はその名こそ知っているものの、句はまったく知らないのだ。すみません、ド素人ですがお邪魔します。誰もいないので何だか勝手に怪しい人になっていく。こういう日本家屋は、小学生の一時期空きが出たため住んでいた校長官舎を思い出して懐かしい。仏間だったりするのだろうが、時折みかける二畳間というのがその家でどういう存在だったかを想像するのが楽しい。時には黒い想念なんかが押し込まれたりしたかも知れない。創作のよすがだったところで何を妄想しているのやら。
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ぐるっと建物を一回りする。庭は掃かないというように落ち葉はそのまま。「そのまま」の良さもちゃんと再現されている。ザクザクと音を立てて歩く。「雑草園」という名は当たり前だが牧野富太郎の「雑草という草はない」とは喧嘩しない。慈しむ角度が違うだけ。誰もこないまま音をひとりじめする。
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文学館の2階展示室では「賢治に献ずる詩歌」という企画展が開かれていた。老若男女、プロアマ問わず詩歌の直筆作品が並んでいる。いわずと知れたスーパースターはあまりに捉え方が多様でかえって発見が少ない。「それも、ある」と頷きながら軽くぐるっと一回り。閲覧室で義母の歌集がちゃんとある(義母はアマチュアの歌人でもあった)ことを確認、震災の復興支援というカシミヤニットの栞を買い求めて帰途につく。
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