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元日の大往生。

今年の元旦は義父がお世話になっている施設からの電話で始まった。食事後、痰が絡んだとのことで介護をしているとだんだんと意識が遠のいていきすでに心肺停止の状態だという。救急車を呼び病院に向かうので急ぎ来てほしいとのこと。追って救急隊の方から「積極的な延命措置を希望しますか」との問い合わせ。生前義父が言っていた通り「希望しません」と伝え、クルマで約30分ほどの隣町の病院へ。昨年末から衰えが顕著になり「その時」は決して遠くはないと思っていたのだが、当たり前の事ながら知らせは突然やってくる。

私たちの到着を待って死亡時刻が確定する。94歳、死因は「老衰」。少し早すぎる妻の死と、母親の死を見届けてから60歳を過ぎて私たち夫婦のいる千葉に岩手から転居してきた。子ども時代を東京で過ごているのであながち見も知らぬ土地ではないという。しばらくは私たちの近くで一人住まいをし、ある時老いてから先を考え、今の施設への入居を自分で決めた。

仕事の他にこれといった趣味もなく、人付き合いも苦手で一人になったらどうなってしまうのだろう――生前に義母は、自分が先だったあとの義父をいたく心配していたようだ。それが千葉へ来てからの義父は、ちょっとした友だち付き合いのできる散歩仲間を見つける、囲碁にドライブ、詩吟(これは岩手でもやっていたようだ)尺八と長続きはしないものも多々あれど次々と新しいことにチャレンジしていった。なかでも折り紙は施設に入ってからも「センセイ」として入居者やスタッフの方にも一目置かれる腕になっていた。最期まで意識明瞭、補聴器のことなど考えたこともないほど耳はよかった。あっぱれすぎて言葉もない。

自分が死んだらどうしてほしいか、基本的なことは伝えられていたので、急ぎ仙台から駆けつけた義兄を中心に粛々と段取りが進められた。正月ということもあって葬儀は少し先になるが、慌てずに済むというのは助かる。そのぶん、とりわけ妻や義兄は喪失感とつきあう時間が増えてしまうかも知れないが。

見出しの写真は、8年前に義父と私たち夫婦で年末年始を南房総の宿で過ごした時。大晦日の夕景。



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