すいすいとモーツアルトにみづすまし
この句を知ったとき、何がなんだかわからないが「やられた」と言わずにいられなかった。知る人ぞ知る俳人・江夏豊の手になる句と知って2度びっくり、そして納得。繊細にして大胆、ふてぶてしくもひょうひょうと打者を打ち取っていく彼の姿が不思議と重なっていく。さびしがりやで生意気で(キャンディーズか)憎らしいほど涙もろい。ミズスマシにもしんみりと語りかけられる人が江夏だと勝手に思っている。
スポーツは「詩」にあふれている。アスリートが極限の力を出したその一瞬、もしくは図らずもあけてしまった空白の一瞬。闘いのあとの後悔や闘いを前にした高揚や不安。打率がどうのとかタイムがどうのとかとは関係なく、そこには彼等にしかわからない風が吹いているのだ。そんな風のおすそわけを少しでもいただければ見るだけのスポーツが感じるスポーツに変わっていく。山際淳司のスポーツ・ノンフィクションは根性論からは遠く離れて、徹底的な取材で彼等の心の襞に入っていく。「江夏の21球」は、だから高く評価されている。
「空が見ていた」
「エンドレス・サマー」
「いつかまた、プレーボール」
「そして今夜もエースが笑う」
タイトルだけでもうそこには詩が生まれている。
「スローカーブを、もう一球」(「江夏の21球」はここに所収)
「ナックルボールを風に」
これなんか座右の銘にしたくなる。
あなたの人生訓は何ですか?「ナックルボールを風に」ですかね。その心は?「とにかく煙にまきたいんですよ」「はあ?」
今したいことは?「スローカーブを、もう一球」とか。野球されるんですか?「いえ。驚かせるのが好きなんですよ」「はあ・・・」
とうの昔に叶わぬ事とはなっているのだけれど「江夏の21球」の続編で「22球目のみづすまし」とか如何でしょうと戯れに思ってみたりして。
プロ野球開幕。栄枯盛衰、あの連覇はどこへという位大きな話題もないわがツバメチームは12球団唯一負けなしで3連戦を終えた。しかし大方はファンならずとも「ことしのツバメはちょっと違う」なんて思ってもいないだろう。いきなりキャプテン、エース、クローザーを欠いくという、もはや通常営業となった「ヤ戦病院」の名に恥じないスタートだ。やれやれといったところだが、12のタクトが振られて今年はどんな詩が生まれてくるのか。