見出し画像

チュイ・ポン!アコロ!サラーム!

避難民と難民について考えていたら思い出した3冊。いずれも1984年発行の写真文庫(週刊プレイボーイ特別編集!)。著者は報道写真家・三留理男。1982年第一回土門拳賞を受賞している。今年の3月に83歳で亡くなられた。

「チュイ・ポン」はカンボジア語で「助けてくれ」、ベトナムの進攻によりよりタイに逃れざるを得なくなった人々のルポルタージュ。「アコロ」はケニア北西部トルカナ地方の言葉で「空腹だ、食べ物をくれ」という意味。干ばつによる飢餓に襲われるトルカナ族を取材しながら、ソマリア、スーダンの現状にも触れる。「サラーム」は「平和(その意味は「戦争がない状態」だけの意味ではない)」というアラビア語。レバノンを始めイスラエル、パレスチナ、イラン、イラクと中東の現実を追う。

40年前の世界と今と一体何が変わったのだろう。政治(マツリゴト)や社会経済(ハカリゴト)の事ではない。そもそもマツリやハカリはこの世界をどうしたいというのだ。巷を見回すと、「人」の見えてこない評論気取りの何と多い事。右だ左だと天下国家を論じるのなら「チュイ・ポン」「アコロ」「サラーム」の繰り返される再生産になぜ目を向けない。人は人でも他人事(ひとごと)では、ただの知識のお遊びだ。

ワールドワイドな話でなくても、身近に「チュイ・ポン」「アコロ」「サラーム」はイヤというほどある。貧困や虐待ばかりではない。近頃話題の「ブラック校則」も然り。当事者の煩悶に耳も貸さずに、いつの世にも繰り返される些事として片付けてしまう大人の口から発せられる天下国家は信用できない。

偉そうな事は言えない。こうしてのんべんだらりと生きているだけで「チュイ・ポン」「アコロ」「サラーム」をもたらすいくつものお先棒を担いでいる。ただ頭の片隅にあるだけで、谷川俊太郎的に言えば「隠された悪を注意深く拒むこと」が百に一つ位出来る、かもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!