本棚の中身・死ぬまでなんぼ
とうとう今年で満65歳になってしまうのだが、あとどれ位こうして無駄口をたたいていられるのだろう。この前「70歳になったらああしろこうしろ」とかウルサいと言ったが、決して考えないわけではないのだ。ただ答えは自分でしか導き出せないのだから、ヒントがあればそれでいい。8年前にあわやこの世とオサラバかという経験をしてからは、生きているだけでもうけものという思いが一層強くなったので、そんな「誰に向かって言ってんだ」的なご高説は謹んでそっぽを向かせていただきたいだけなのであります。
わずか61歳にしてがんで逝った妻の見事な生の幕引きを目の当たりにし、古今東西の様々な文学や哲学における死に思いをはせた『凡人のためのあっぱれな最期』(樋口裕一著)を読んでいる。著者曰く妻という人は時に怒りっぽいごく普通の人で、宗教的なものにも否定的だった。いわゆる決して「立派な人」ではなかったが、死期を悟ってからの泰然ぶりは見事だったという。読んでいて男と女の違いはあれ、どうも自分と重なる部分が多々ありそうなのだが、果たして余命(即ち死)の宣告を受けた時自分はそんなに泰然自若としていられるのか限りなくあやしい。
死や老いにまつわる本はそれなりにある。それはこれから徐々に増えていくジャンルだろう事は想像に難くない。ほんの少し並べて見ると。『死にカタログ』(寄藤文平著)は、古今東西の「死」の姿を様々な角度から軽いタッチのイラストとともに解説。死んだらどうなるのかなんてコオロギあり肥料あり、何でもありなのだ。もうどうにでもしてねという感じで、個人的には雲の上で昼寝でもさせていただければ幸いです。そんな前提で『老いと創造』(横尾忠則著)や『100歳まで生きてどうするんですか?』(末井昭著)あたりを読むと何も老骨にムチ打って自分を震い立たせなくていいんだと思えるようになる。『一度死んでみますか』(島田雅彦・しりあがり寿著)なんてちゃぶ台ならぬ仏壇をひっくりかえしちゃう愉しさだ。いやいや少しはちゃんと考えるところは考えようと読むのが『老い方、死に方』(養老孟司著)だったりする。あの位斜に構えているのが、ちょっと憧れる枯れ方なのだ。昆虫はいらないけれど。『私の死亡記事』(文藝春秋編)なんてのもある。阿川弘之から渡邉恒雄まで102人による自らの死亡記事。それぞれに死生観が出ているようないないような。
要するに関心はあるけれどまだまだ切実な問題として捉えていないのがよーくわかる。あと5年、あと10年(生きていればだけれど)どんな本で死に向き合っていくのやら。