『じぷた』は自分だ。
小学校も低学年までは、ひどい小児喘息で出席日数もギリギリの虚弱児童だった。当時、発作が起きた時の特効薬に「メジヘラー・イソ」という噴霧式の気管支拡張薬があり、これを噴霧するとウソのように症状が軽くなった(今は販売されていない)。過度の使用は不整脈どころか心停止も招きかねない、いわば劇薬の類だ。うっかり予備を切らしてしまい、真夜中に父親が近所の薬局まで走っていくということも一度ならずあった(ほんとうは医師の処方が必要なのだが、そこは大らかな昭和の話)。
喘息は横になっている方がつらいので、座椅子をリクライニングさせて少しでも呼吸がしやすい体勢になる。発作が治まっても、その日一日は軟禁を余儀なくされる(もっとも病み疲れで動く気力もないのだが)。この時間をどう過ごしていたか。「少年マガジン」や「少年サンデー」をはじめとするマンガ週刊誌に隈なく目を通し、お気に入りのマンガはチラシの裏など(当時は片面に一色刷りが多かった)に「模写」を始める。または「ウルトラ怪獣図鑑」を眺めながら、新たな怪獣の創造に勤しむ、といった具合。それでも時間は余るので、百科事典を1巻からパラパラとめくり、日本史関係が並んだ父親の書棚も漁る始末。我ながらあの頃はなかなかの「博覧強記」ぶりだったのではないか。健康になるにつれ外で元気に遊ぶ少年になり、今ではその片鱗も残っていないが。
少し前、ふらっと入った地元の小さな古本屋で絵本『しょうぼうじどうしゃじぷた』を見つけ、懐かしさに思わず買ってしまった。出番はボヤの時くらいの古いジープを改良した小さな消防車「じぷた」が、日ごろ華々しく活躍するはしご車や高圧車、救急車が入っていけない狭い山道を駆けのぼり山火事の延焼を防ぎ一躍ヒーローになるという、今さらながらの渡辺茂男作の名作絵本だ。山本忠敬氏(働く乗り物を描かせたらこの人!)の誇張を控えたインテリジェントな絵がまたいい。
「ああ、これは小学校の頃の自分だったんだ」と頁を繰りながら思った。学校は休みがち、体育は見学(小学生にとって運動が出来ないといくことは、この上ない屈辱の部類に入る)の虚弱児童がそれでも楽しく学校に行っていたのは「安静の退屈」で磨いたマンガや怪獣の知識、表現力がプチ荒俣宏(くり返すが今はその欠片もない)としてコミュニケーションの大きな「武器」になったからだ。
「じぷた」について書いていたら、昔々読んだ絵本が次々と脳裡に浮かんできた。ずいぶんたくさんの絵本を与えてもらったと思う。一冊一冊がすべて養分になっているんだろうなあ。また気が向いたら書いてみるか。
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