足のうら、菌、直感
二度目の屋久島に来ている。
4日目の朝。
水を飲み、生い茂る庭を裸足で横切り、用をたし、縁側で庭を眺めながら、滞在中初めての晴れ間が目に入ってくる。
ふと、今回の旅では一度も怒りの感情を抱いていないことに気づく。
幼い頃から意地が悪かった自分にとって、見知らぬ土地でこれほど穏やかな時間を維持できることに驚く。
先に触れておくと、この話はあまりロジカルじゃないが、体感的な信憑性は高そうだ。
ゲストハウスの家主、田中夫婦いわく「直感」に従って過ごすことで、負荷がかからない生き方をできると。上陸してから今日まで、短い時間ではあるけど確かに直感が冴えている気がする。
けれど、こちらも四人家族。
僕以外の三人の、それぞれの直感がある程度合っていないと、不和が起こるはずだが、今回の旅ではまだ致命的な喧嘩がおこっていない。
なぜか。一つには、家族が精神年齢の低い僕に合わせてくれている説があるが、今回はもう一つ信じたい説がある。
島の菌と、宿の菌と、僕ら家族の菌が同期することで、直感の方向性があってくるらしい。
「郷に入って郷に従った」感じに近い。従ったというよりフィットした感覚。
菌のバランスがいいと、機嫌もいいそうだ。
事実、人の体には数十兆を超える菌が宿っていて、体調だけでなく思考も菌に左右されるという話もよく聞くし、腸活はいっときのブームにとどまらず人々の暮らしに定着したことを踏まえると、
もはや、自分の機嫌をとるには菌をもてなして、多様な菌をまとうことからなのかもしれない。
以心伝心や、阿吽の呼吸という言い回しも、菌の存在を意識するとしっくりきそうだ。「水が合う」というのも、ミネラル成分だけでなく、菌の存在も含まれているのかもしれない。
いま、この文章を書きながら科学的根拠を引用しているわけではないが、決してスピリチュアルなトーンで話したいわけでもない。
むしろこういった直感にこそ、科学的に追いつきたくなる欲が湧くということが面白いし、そういった研究や開発に触れていきたいものだ。
普段、ソックスと靴底でカバーされている足の裏で、緑を踏み締めて歩くと、ひんやりした朝露を伝っていろんな情報を受け取っている気がしてくる。足の裏は人の体の中でも有数のセンサーなんだと思い出す。
情報が伝わってくる、でも理解も解釈もしない。これが直感なのかもしれない。
どうやら五ヶ月前、はじめて屋久島に訪れて、田中家が作るミキ(発酵飲料)を口にして、僕の中でいい具合に醸されたらしい。半年も経たないうちに、引き寄せられて、ご機嫌な時間を過ごしているのが、目に見えない小さな存在のせいだと想像すると、ちょっと楽しくなってくる。
ストレス社会に疲弊していると感じるなら、食住から自分にフィットする菌を探す旅に出かけるのも、悪くない。
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