倫理(道徳)の再考の必要性
今日は簡単な倫理の話をさせてください。
これは正解はありませんが『善い』とは何でしょうか。
かなり難しいですよね。
善い事って道徳で習う善いでしょって思う方が多いのではないでしょうか。
でもこれって悪いことをしても善い事したって言えると私は考えています。
数年前 津久井やまゆり園事件がありました。
私の倫理への関心はこの事件がきっかけでした。
「私が殺したのは人ではありません。〝心失者〟です」
「意思疎通のできない重度障害者は人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在。絶対に安楽死させなければいけない」
そう、彼にとっては善い事だったと推測されます。
まとも(私の価値観からしたらまとも)な人は、そんなの絶対間違っていると思うでしょう。
でも実際善い事だとおもって、行動してしまったのです…
またちょっと方向を変えて話してみましょう。
障碍者支援の現場も究極の倫理だと考えています。
善いと思ってサポートしていても本人の意思に相反するものだったら、邪魔な支援、もっと言えば将来の可能性の芽を摘むことになりかねません。
道徳における善いを再考する必要があるかもしれません。
長文失礼しました、
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